スンニ・バル(Sonni Bāru、? - ?)またはスンニ・アブー・バクル・ダオ(Sonni Abū Bakr Dao)[1]は、スンニ朝ソンガイ帝国の最後の君主(在位:1492年 - 1493年)。
1492年11月6日にスンニ・バルは父のスンニ・アリの跡を継いでソンガイの君主となる。
イスラム教徒に対してある程度の譲歩を示していたスンニ・アリと異なり、スンニ・バルはイスラム教の信仰を拒み、地方の非イスラム教徒を支持層に選んだ[2]。権益の喪失を恐れた都市部のイスラム教徒は、スンニ・アリ配下の将軍の一人であるムハンマド・トゥレを旗手として反乱を起こした[2]。ガオ近郊のアンフォオでスンニ・バルはムハンマド・トゥレと交戦し、敗北する[3]。敗れたスンニ・バルは国外に逃亡した。
スンニ・バルを追放したムハンマド・トゥレはアスキア・ムハンマド・トゥレとして即位し、アスキア朝を創始する[4]。
脚注
- ^ Bāru is a local contraction of Abū Bakr: Hunwick 1999, p. 5n48
- ^ a b デビッドソン『アフリカ文明史』、81頁
- ^ シソコ「十二世紀から十六世紀までのソンガイ人」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 上巻、283頁
- ^ Hunwick 1999, p. 102
参考文献
- バジル・デビッドソン『アフリカ文明史』(貫名美隆、宮本正興訳, 理論社, 1975年1月)
- S.M.シソコ「十二世紀から十六世紀までのソンガイ人」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 上巻収録(竹村景子訳, D・T・ニアヌ編、同朋舎出版、1992年3月)
翻訳元記事参考文献
- Hunwick, John O. (1999), Timbuktu and the Songhai Empire: Al-Sadi's Tarikh al-Sudan down to 1613 and other contemporary documents, Leiden: Brill, ISBN 90-04-11207-3