スト・ノヤン(モンゴル語: Sutu noyan、生没年不詳)は、モンゴル帝国に仕えたコンゴタン氏出身の千人隊長の一人。『集史』などのペルシア語史料ではسوتو نویان(Sūtū nūyān)と記される。
概要
チンギス・カンに仕えたコンゴタン族長モンリク・エチゲの息子として生まれ、兄にはココチュ(テプ・テングリ)、トルン・チェルビ、スイケトゥ・チェルビ、ダイル(諸説あり)らがいた[1]。
スト・ノヤンはモンリク・エチゲの息子達の中でもほとんど記述がなく、『モンゴル秘史』には名前さえ記されていない。一方、『集史』には左翼9番目の千人隊長として名前が記されている[2]。
『モンゴル秘史』の第244-246節には「モンリク・エチゲの七人の息子達」が長男のココチュ(テプ・テングリ)を筆頭に増長し、ジョチ・カサルやテムゲ・オッチギンといったチンギス・カンの弟達に不遜な態度をとったことが記されているが、この「モンリク・エチゲの七人の息子達」の一人がスト・ノヤンであると考えられている[3]。
コンゴタン氏モンリク家
- モンリク・エチゲ(Mönglik Ečige >蒙力克額赤格/ménglìkè échìgé,منکلیک یجیکه/Munklīk Ījīka)
- ココチュ=テブ・テングリ(Kököčü >闊闊出/kuòkuòchū,کوکجو/Kūkajū)
- キプチャク(Qibčaq >قبچاق/Qibchāq)
- トルン・チェルビ(Tulun Čerbi >脱欒扯児必/tuōluán chĕérbì,تولون چربی/Tūlūn Cherbī)
- バイバク(Baibaq >伯八/bǎibā)
- バラク(Baraq >八剌/bālà)
- アドゥーチ(Adūči >何都兀赤/hédōuwùchì)
- ブラルキ(Buralqi >不蘭奚/bùlánxī)
- スイケトゥ・チェルビ(Süyiketü Čerbi >速亦客禿扯児必/sùyìkètū chĕérbì,سوکتو چربی/Sūkātū Cherbī)
- スト・ノヤン(Sutu noyan >سوتو نویان/Sūtū Nūyān)
- ダイル(Dayir >荅亦児/tàyìér,دایر/Dāīr)
- ハラカト・ノヤン(Halaqato noyan >هلقتو نویان/Halaqatū Nūyān)
脚注
- ^ 志茂2013,594頁
- ^ 志茂2013,599頁
- ^ 村上1972,112-125頁
参考文献
- 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
- 杉山正明『モンゴル帝国と大元ウルス』京都大学学術出版会、2004年
- 杉山正明「モンゴルの破壊という神話」『ユーラシア中央域の歴史構図』総合地球環境学研究所、2010年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 2巻』平凡社、1972年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 3巻』平凡社、1976年
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大中軍 :105 |
首千戸(1) | |
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右翼(38) | |
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左翼(62) | |
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コルゲン家(4) | |
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右翼 :12 |
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左翼 :12 |
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所属 不明 | |
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- 太字は四駿四狗 / 1 1206年以降に任命された人物で、『元朝秘史』では千人隊長に数えられない
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