スティーヴン・ウィテカー
スティーヴン・ゴードン・ウィテカー(Steven Gordon Whittaker, 1984年6月16日 - )は、スコットランド・エディンバラ出身の元サッカー選手。元スコットランド代表。現役時代のポジションはディフェンダー。 ハイバーニアンFCでプロ生活を開始し、公式戦で170試合以上に出場する。2007年のスコティッシュリーグカップのタイトルを置き土産に同年8月にレンジャーズFCに移籍すると、ここで3度のスコティッシュ・プレミアリーグ、2度のスコティッシュカップ、2度のリーグカップと数々の優勝を経験した。2012-13シーズンに自由移籍でノリッジ・シティFCと契約した。 経歴クラブハイバーニアン多くのプロ選手を輩出したハッチソン・ヴェイルBCで選手生活を開始し、デレック・リオーダンやケヴィン・トムソンが同時期に在籍していた[1]。その後、少年時代をハート・オブ・ミドロシアンFCのファンとして過ごした[2]にもかかわらず、ハッチンソン・ヴェイルからハイバーニアンFCと契約。2002年5月12日のセント・ジョンストンFC戦において、ハイバーニアンのトップチームからプロ初出場[3]を飾って以来、同2002-03シーズンは6試合に出場した。ユース時代はトムソンとセントラル・ミッドフィルダーでコンビを組んでいた為、ボビー・ウィリアムソン監督によって右サイドバックに転向させられた[4]ことで当初は困惑していたが、最終的に2003-04シーズンに右サイドバックの定位置を確保[5]し、チームのスコティッシュリーグカップ決勝進出に貢献した。なお、同決勝のリヴィングストンFC戦は未出場に終わった。また、2004年1月3日のパーティック・シッスルFC戦 (3-2) でプロキャリア初得点を記録している[6]。 翌2004-05シーズンに就任したトニー・モウブレイ新監督の下でも昨季同様に右サイドバックのレギュラーとしてプレー[4]し、3位でのシーズン終了に貢献した。2006-07シーズンは、モウブレイ監督と後任のジョン・コリンズ監督の両方でレギュラーとしてプレーし、リーグカップ優勝に貢献した。最終的にハイバーニアン在籍中に公式戦で174試合5得点を記録した。 レンジャーズ2007年8月1日に移籍金200万ユーロでレンジャーズFCと5年契約を締結する[7]。背番号28を着用し、8月18日のフォルカークFC戦 (7-2) で初出場及び初得点を記録[8]したウィテカーは、アラン・ハットンの存在から主に左サイドバックとして起用されており[9][10]、ハットン移籍後はカーク・ブロードフットの台頭によって右サイドバックに戻れず、サイドハーフとしてもプレーする[11]中で2008年4月10日にUEFAカップ 2007-08のスポルティングCPとの第2戦で得点を決め、試合後に自身のキャリアで最高の得点だったと語った[12]。UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12予選のマルメFF戦においてジミー・ドゥルマズから軽くタックルを受けた後、ドゥルマズにボールを投げつける報復行為をしたことでレッドカードによる一発退場処分となった[13]。 2009-10シーズンはサイドバックながら公式戦11得点と高い得点力を示し、スコティッシュ・プレミアシップとリーグカップの2冠達成に貢献。2010-11シーズン終了後にスュペル・リグ(トルコ1部)のブルサスポルからオファーがあったが、それを拒否して2011年7月にレンジャーズと新たに5年契約を締結した[14]。しかし、クラブの多額の負債から新会社に切り替えられると、2012年6月に「新たなクラブへの忠誠心はない」として、同僚のスティーヴン・ネイスミスと共に現行の契約に対して破棄を申し立てた[15]。これに対し、チャールズ・グリーンのコンソーシアムは、契約違反として法的措置をとる構えを見せている。なお、スコットランドプロサッカー選手協会と法律の専門家は、選手達は新会社に参加する義務はないとしている[16]。 ノリッジ・シティ2012年6月30日にプレミアリーグ(イングランド1部)のノリッジ・シティFCと4年契約を締結する[17]。レンジャーズとの契約騒動は終結していなかったが、ウィテカーはFIFAに調停を訴え[18]、7月20日にFIFAは暫定的ながらも許可したことで、晴れてノリッジ・シティの選手としてプレー出来ることとなった[19]。 2012-13シーズン開幕前のセルティックFCとの親善試合中に足首を負傷したことで出遅れ[20]、10月31日のトッテナム・ホットスパーFC戦までの約2ヶ月離脱を余儀なくされた[21]。トッテナム戦から数日後のストーク・シティFC戦 (1-0) において、右サイドバックとして90分フル出場でリーグ初出場を飾り[22]、12月8日のスウォンジー・シティAFC戦 (4-3) でロバート・スノッドグラスとのワンツーパスからプレミアリーグ初得点を挙げた[23]。 2013-14シーズン開幕戦のエヴァートンFC戦 (2-2) において、まず、マルアン・フェライニら数人の相手選手を抜いてのシュートはポストに一旦は阻まれるも、跳ね返ったボールを決めて先制点を挙げると、更にプレミアリーグ初出場を飾ったリッキー・ファン・ウォルフスウィンケルの同点ゴールをクロスで支援し、1得点1アシストの全得点に絡むプレーを見せる[24]個人としては素晴らしいスタートを切ったが、最終的にチームはチャンピオンシップ(2部)へと降格した。 ハイバーニアン復帰2016-17シーズン限りでキャロウ・ロードを去り、スコティッシュ・プレミアシップに昇格したハイバーニアンへ3年契約で復帰した[25]。 ダンファームリン・アスレティック2020年6月29日、ダンファームリン・アスレティックFCへ移籍[26]。2021年6月、現役引退を表明し、コーチに就任した[27]。 代表U-21代表でレギュラーとしてプレーしていたところ、2006年10月にUEFA EURO 2008予選のウクライナ戦へ向けてスコットランドA代表に初招集される[28]。同試合を未出場に終えた後、11月にはB代表としてアイルランドB戦 (0-0) に出場し[29]、2007年11月のアイルランドB戦 (1-1) にも出場した[30]。2009年8月12日のノルウェー戦でA代表初出場を飾り[31]、代表2試合目は、負傷したカラム・デイヴィッドソンとの交代で途中出場したマケドニア戦だった[32]。 代表初出場以来、右サイドバックの定位置を主にアラン・ハットンと争っていたが、ゴードン・ストラカン監督就任以降は左サイドバックとして起用され、フィル・バーズリーやアンドリュー・ロバートソンらと定位置争いを繰り広げた[33]。 個人成績クラブでの出場記録出典:[34]
注釈
代表での成績出典:[35]
タイトルクラブ
個人
脚注
外部リンク
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