スタンプ・ウィードマン
ジョージ・エドワード・"スタンプ"・ウィードマン(George Edward "Stump" Wiedman 、1861年2月17日 - 1905年3月2日)は、1880年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手、外野手。ニューヨーク州ロチェスター生まれ。右投げ右打ち。1881年のナショナルリーグ最優秀防御率投手。 来歴・人物1880年、19歳の時にバッファロー・バイソンズの選手となる。ウィードマンは1年目に30試合ほどに出場しているが、当時はバイソンズのエースだったパッド・ガルヴィンの登板しない試合で投げ、残りは外野手として起用された。1年目の勝敗は0勝9敗だった。 翌1881年にデトロイト・ウルバリンズが創設された際移籍し、2番手投手として13試合に登板。勝敗は8勝5敗だったが、この年の防御率1.80はナショナルリーグで最も低い記録だった。翌年からはウルバリンズのエースとなり2年続けて20勝を挙げたが、次の2年間は負けが先行するようになる。1886年に一度カンザスシティ・カウボーイズに移ったものの、そこで12勝36敗(負け数はリーグ最多)と惨敗する。同年でカウボーイズも破綻したため、次の年再びウルバリンズに戻ったが、1887年8月にニューヨーク・メトロポリタンズに金銭で放出された。 メジャーでの経歴は1888年にニューヨーク・ジャイアンツで2試合に登板したのが最後である。選手を引退したのち、ウィードマンは1896年に55試合の審判を務めた記録が残っている。1905年にニューヨークで死去。 通算成績投手成績※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
タイトル
打撃成績
出典・外部リンク
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