ジルケ・グラディッシュ=メラー(Silke Möller, 旧姓:Gladisch、1964年6月20日 - )は、旧東ドイツの陸上競技選手。1988年ソウルオリンピックの銀メダリストである。メクレンブルク=フォアポンメルン州シュトラールズント出身。
経歴
グラディッシュ=メラーは、東ドイツにマルリース・ゲール、マリタ・コッホそしてハイケ・ドレクスラーといった強豪スプリンターがいた1980年代にこれらのスター選手の陰に隠れる形で活躍していた女性短距離選手である。
グラディッシュは、1987年のローマで開催された第2回の世界選手権において、100mでは10秒90でドレクスラーらをおさえ、200mでは、21秒74で、アメリカのフローレンス・グリフィス=ジョイナーらをおさえ2冠を達成した。また、この大会では4×100mRでも銀メダルを獲得。この年の東ドイツのスポーツウーマン・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
メラー(このときは結婚しメラーと名乗っていた。)は、1988年にソウルオリンピックに出場。個人種目では200mの5位が最高であったが、4×100mRでは、メラー、ケルスティン・ベーレント、イングリット・アウアースバルト、ゲールとともに、42秒09で銀メダルを獲得した。
メラーは、1992年に、カトリン・クラッベやグリット・ブロイアーにかけられたドーピング疑惑に巻き込まれる。後に国際陸連(IAAF)からシロと認定されるが、メラーは、同年の1992年バルセロナオリンピックの直前に現役を引退し、ロストックで歴史の勉強を始めた。その後、歴史と体育の教師となった。
グラディッシュ=メラーは、選手としては小柄で身長1m63、体重57kgであった。1985年に、オーストラリアのキャンベラで行われたワールドカップで出した4×100mR(グラディッシュ、ザビーネ・リーガー、アウアースバルト、ゲール)の41秒37という記録は、2012年ロンドンオリンピックでアメリカに破られるまで27年間もの間世界記録であった。
ドイツ統一後、次々と旧東ドイツの国家ぐるみのドーピングが明らかになる中、グラディッシュについても1981年から1984年にかけて大量の禁止薬物オーラルトリボナルが投与されたとの論文が発表されている。
自己ベスト
- 100m - 10秒86 (1987年)
- 200m - 21秒74 (1987年)
主な実績
外部リンク