11歳のジョーン・レスリー(『椿姫』宣材写真)
フレッド・アステアと(1943年)
ジョーン・レスリー (Joan Leslie 、1925年 1月26日 - 2015年 10月12日 )は、ハリウッド黄金時代に活躍したアメリカ合衆国 の女優 、ダンサー 、ボードビリアン。代表作は『ハイ・シェラ 』『ヨーク軍曹 』『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ 』など。
生涯
1925年 1月26日 、ミシガン州 ハイランド・パーク (英語版 ) に生まれる。出生名はジョーン・アグネス・テレサ・セイディ・ブローデル (Joan Agnes Theresa Sadie Brodel )[ 1] 。アイルランド系でカトリック [ 2] [ 3] 。父親のジョンは銀行員[ 4] 、母親のアグネスはピアニスト。姉が二人いる。長女はメアリー(1916年 - 2015年)、次女はベティ (英語版 ) (1920年生)。姉妹は母親の影響で幼い頃からサクソフォーン 、バンジョー といった楽器演奏を習い、人前で歌や踊りを披露する[ 5] 。ジョーンは2歳半からそれに加わる。すぐにアコーディオン が弾けるようになる[ 2] 。
1930年代半ばに世界恐慌 で父親が失業。生活のため姉妹はボードビリアンとしてショービジネス界に入り、カナダ、アメリカをツアーして回る。姉妹はザ・スリー・ブローデル (The Three Brodels )と呼ばれた。児童労働法に抵触するので姉妹は年齢をごまかした。9歳だったジェーンも調査員に16歳と嘘をついた[ 6] 。ジェーンは最年少ながらグレタ・ガルボ 、キャサリン・ヘプバーン 、モーリス・シュヴァリエ 、ザス・ピッツ 、ジミー・デュランテ 、ルイーゼ・ライナー らの物真似で人気を博した[ 5] [ 7] 。
1936年 、ニューヨーク での公演中にMGM のスカウトの目に止まる。撮影所と週200ドルで6ヶ月契約を結ぶ[ 7] 。MGMではジュディ・ガーランド 、ミッキー・ルーニー 、フレディ・バーソロミュー ら他の子役スターと一緒にリトル・レッド・スクール・ハウス (英語版 ) に通った[ 8] [ 9] 。
女優としてのデビューはグレタ・ガルボ 、ロバート・テイラー 主演の恋愛映画 『椿姫 』(1936年)[ 10] 。テイラーの妹役だったが喋っているシーンはカットされ、またクレジットもされなかった。その後は役をもらえず、ディアナ・ダービン とともに撮影所から契約解除された[ 5] [ 11] 。ジョーンはニューヨークに戻り、ラジオに出たりモデルをやったりした。しかし姉のメアリーがユニバーサル と契約したので、家族でハリウッドに移る。ジョーンはフリーランス で撮影所(主にRKO [ 12] )で働き出す[ 7] 。
『翼の人々』(1938年)で小さな役を得るが、母親が13歳だったジェーンの年齢をごまかしていたことに監督のウィリアム・A・ウェルマン が気づき、それ以降の撮影はメアリーに交代させた[ 13] 。
最初に名前(ジョーン・ブローデル )がクレジットされたのは『Winter Carnival』(1939年)。南部訛りの女優を探していた監督に抜擢された[ 6] 。
15歳の時、ハリウッド監督たちが選ぶ「Baby Stars of 1940'」13人の1人に選出される[ 14] 。
ブレイクしたのは1941年 にワーナー・ブラザース と契約してから[ 2] 。名前がジョーン・ブロンデル と名前が似ていたのでジョーン・レスリーに改名する[ 15] 。
その2週間後[ 16] 、まだ15歳だったジョーンは何の映画かわからずにスクリーンテストを受けさせられる。キュー(合図)と同時に泣くことができたので役を獲得。映画はハンフリー・ボガート 、アイダ・ルピノ 主演の『ハイ・シェラ 』(1941年)で、ジョーンは足の不自由な少女ヴェルマを演じた[ 17] 。映画評論家のボズレー・クラウザー は「新人ジョーン・レスリーは小さい役を立派にこなしている」と評価した[ 18] 。
その年、ワーナー・ブラザースは第1次世界大戦のアメリカ軍兵士アルヴィン・ヨーク の伝記映画 『ヨーク軍曹 』を製作することになり、ゲイリー・クーパー の相手役にジョーンが抜擢された。ヨークの婚約者グレイシー・ウィリアムズ役で、当初ジェーン・ラッセル が検討されたが、ヨーク本人が煙草も酒もやらない女優を希望したのでジョーンに決まった[ 19] 。『ヨーク軍曹』は興行的にはその年の興収トップ、批評的にも大成功した。アカデミー賞 では11部門でノミネートされ、クーパーはアカデミー主演男優賞 を受賞した
[ 20] 。クーパーは24歳も年上で、「クーパーから人形のセットをもらったわ」とジョーンは後に『トロント・スター 』紙で語っている。「彼は私をそういうふうに見ていたの」"[ 21] 。
『The Male Animal』(1942年)ではオリヴィア・デ・ハヴィランド の妹役を演じる。ブロードウェイのオリジナル劇ではジーン・ティアニー がこの役を演じている[ 22] 。
1942年 、パラマウント映画 の『スイング・ホテル 』のオーディションを受けるが、ワーナー・ブラザースは彼女を『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ 』のジェームズ・キャグニー の相手役に指名する[ 23] 。ブロードウェイのエンターテイナー、ジョージ・M・コーハン( (英語版 ) の生涯を描いたミュージカル映画 で[ 24] 、ジョーンはコーハンの妻で野心的な歌手メアリーを演じた[ 25] 。アカデミー賞では主演男優賞のキャグニーを含む8部門にノミネートされた[ 26] 。ジョーンはスターとなり、「甘ったるく見えないイノセントな乙女」と形容された[ 4] 。
1943年 には4つの映画に出演した。『虚栄の花』ではアイダ・ルピノ、デニス・モーガン (英語版 ) と共演。『ニューヨーク・タイムズ 』紙は「役がそうであるように器用で何をやらせてもうまい」と評した[ 27] [ 28] 。『青空に踊る』はRKO作品でフレッド・アステア の相手役。ハロルド・アーレン 作曲・ジョニー・マーサー 作詞の『My Shining Hour』を歌った[ 29] 。他にロナルド・レーガン 共演の『ロナルド・レーガンの陸軍中尉 (英語版 ) 』、『Thank Your Lucky Stars』に出演。
第2次世界大戦 中は軍人向けの慰安酒保ハリウッド・キャンティーン で兵士と踊ったり、何百枚もサインするなど、定期的にボランティアをした。ワーナー・ブラザースがそのハリウッド・キャンティーンを舞台に作った『ハリウッド玉手箱 』(1944年)に本人役で主演。ただし内容はフィクションでロバート・ハットン (英語版 ) 演じる兵士と恋に落ちる。この映画には姉のベティ・ブローデルも出演している。
戦後の1946年 、『Motion Picture Herald』紙のアンケートで「将来が最も期待されるスター」に選ばれる[ 30] 。
ジョーンは撮影所が与える役に徐々に不満を感じるようになる。若さから求められる純情派のイメージから脱却し、よりシリアスな大人の女性を演じたいと思うようになった。その背景にはキリスト教カトリックの道徳観があったようで[ 31] 、ワーナー・ブラザースとの契約解除を求めて裁判を起こした[ 32] 。ワーナー・ブラザースのジャック・L・ワーナー は報復としてジョーン・レスリーをブラックリストに載せハリウッドのメジャー・スタジオから閉め出した[ 33] 。1947年 、ジョーンはポヴァティ・ロウ 系の小スタジオだったイーグル・ライオン・フィルムズと契約。フィルム・ノワール『Repeat Performance』(1947年)[ 34] や西部劇『荒原の征服者』(1948年)[ 35] といったB級映画 に出演した。
イーグル・ライオン・フィルムズとの契約終了後、『The Skipper Surprised His Wife』(1950年、MGM)で久々にメジャー復帰を果たす[ 36] 。
1950年 3月、産科医のウィリアム・コールドウェルと結婚[ 7] 。翌年1月に双子の娘パトリースとエレンを出産[ 37] 。
1950年代は娘の子育てに重きをおき、映画出演は不規則になる。1952年 、低予算の西部劇映画を製作していたリパブリック・ピクチャーズ と短期間契約[ 33] 。アメリカ空軍 で活躍した実在の看護婦リリアン・キンケラ・ケイルの伝記映画『女の戦場』に主演する[ 38] 。最後の映画出演は『The Revolt of Mamie Stover』(1956年)。しかし、テレビには子育ての合間をみて散発的に出演を続ける[ 7] 。『Fire in the Dark』(1991年)を最後に引退[ 5] [ 39] 。
2015年 10月12日 、ロサンゼルス で死去。90歳だった[ 40] 。 ホーリー・クロス墓地 に埋葬された。
レガシー
フィルモグラフィ
映画
Signing Off (1936) ※短編、ブローデル。シスターズとして
椿姫 Camille (1936) ※クレジットなし
翼の人々 Men with Wings (1938) ※クレジットなし
Nancy Drew... Reporter (1939) ※クレジットなし
邂逅 Love Affair (1939) ※クレジットなし
Winter Carnival (1939)
Two Thoroughbreds (1939)
ラディー Laddie (1940)
High School (1940) ※クレジットなし
Young as You Feel (1940)
Alice in Movieland (1940) ※短編
Star Dust (1940) ※クレジットなし
Susan and God (1940) ※クレジットなし
Military Academy (1940)
海外特派員 Foreign Correspondent (1940) ※クレジットなし
ハイ・シェラ High Sierra (1941)
The Great Mr. Nobody (1941)
The Wagons Roll at Night (1941)
Thieves Fall Out (1941)
ヨーク軍曹 Sergeant York (1941)
Nine Lives Are Not Enough (1941) ※クレジットなし
The Male Animal (1942)
ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ Yankee Doodle Dandy (1942)
虚栄の花 The Hard Way (1943)
青空に踊る The Sky's the Limit (1943)
ロナルド・レーガンの陸軍中尉 (英語版 ) This Is the Army (1943)
Thank Your Lucky Stars (1943 )
ハリウッド玉手箱 Hollywood Canteen (1944)
I Am an American (1944) ※短編、クレジットなし
Where Do We Go from Here? (1945)
アメリカ交響楽 Rhapsody in Blue (1945)
Too Young to Know (145)
婿探し千万弗 Cinderella Jones (1946)
Janie Gets Married (1946)
王子と運ちゃん Two Guys from Milwaukee (1946)
Repeat Performance (1947)
荒原の征服者 Northwest Stampede (1948)
The Skipper Surprised His Wife (1950)
濁流(生まれながらの悪女) Born to Be Bad (1950)
馬上の男 Man in the Saddle (1951)
虐殺の砂漠 Hellgate (1952)
アリゾナの勇者 Toughest Man in Arizona (1952)
私刑される女 Woman They Almost Lynched (1953)
女の戦場 Flight Nurse (1953)
テキサス街道 Jubilee Trail (1954)
Hell's Outpost (1954)
The Revolt of Mamie Stover (1956)
テレビ
ジェーン・ワイマンの炉端劇場 Fireside Theater (1951)
ジェネラル・エレクトリック・シアター General Electric Theater (1958)
ポリス・ストーリー Police Story (1975)
チャーリーズ・エンジェル Charlie's Angels (1978)
超人ハルク The Incredible Hulk (1979)
ジェシカおばさんの事件簿 Murder, She Wrote (1986)
出典
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外部リンク