ジョージ・サックヴィル (第4代ドーセット公爵)

ジョージ・サンダース英語版による肖像画、1810年代。

第4代ドーセット公爵ジョージ・ジョン・フレデリック・サックヴィル英語: George John Frederick Sackville, 4th Duke of Dorset1793年11月15日1815年2月14日)は、グレートブリテン貴族。1799年までミドルセックス伯爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

ミドルセックス伯爵と姉妹2人の肖像画。ジョン・ホプナー画、1796年。

第3代ドーセット公爵ジョン・フレデリック・サックヴィルと妻アラベラ・ダイアナ(Arabella Diana、旧姓コープ(Cope)、1769年 – 1825年8月1日、第2代準男爵サー・チャールズ・コープ英語版の娘)の息子として、1793年11月15日に生まれ、12月30日にノールで洗礼を受けた[1]。1799年7月19日に父が死去すると、ドーセット公爵位を継承した[1]。母は1801年4月7日に初代ウィットワース男爵チャールズ・ウィットワース(のちの初代ウィットワース伯爵)と再婚した[1]

ハーロー校で教育を受けた後[1]、1810年10月23日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1813年6月30日にM.A.の学位を修得した[2]

1813年7月26日、初代ウィットワース子爵(初代ウィットワース男爵が1813年に昇叙)の後任としてケント州民兵隊のセブノークスとブロムリー連隊(Sevenoaks and Bromley Regiment)のlieutenant-colonel commandantに任命された[3]

アイルランド総督を務めていたウィットワース子爵に会いに行く道中、1815年2月14日に第5代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールドとともに狩猟に出かけたが、ダブリン県キリニー英語版で落馬事故を起こして死去した[1][2]。同年3月3日、サセックスWithyamで埋葬された[1]。生涯未婚であり、爵位は祖父の弟の息子にあたる第2代サックヴィル子爵チャールズ・サックヴィル=ジャーメインが継承した[1]。一方、ノールなどサックヴィル家領の大半は姉メアリー(1864年7月20日没)と妹エリザベス英語版(1870年没、初代バックハースト女男爵)が継承した[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 428–430.
  2. ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (S to Z) (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1241.
  3. ^ "No. 16766". The London Gazette (英語). 21 August 1813. p. 1665.

外部リンク

グレートブリテンの爵位
先代
ジョン・フレデリック・サックヴィル
ドーセット公爵
1799年 – 1815年
次代
チャールズ・サックヴィル=ジャーメイン