ジョージ・ケペッシュ

ジョージ・ケペッシュ 、ケペシュ・ジェルジ(György Kepes, ハンガリー語: Kepes György, 1906年10月4日 – 2001年12月29日)は、ハンガリーアメリカ合衆国の美術家[1]、デザイナー、美術理論家、教育者。

生涯

ニュー・バウハウス時代 (New Bauhaus)

ニュー・バウハウス は1937年にシカゴにモホリ=ナジが初代校長として設立したデザイン学校である。これが現在のイリノイ工科大学 となる。

ケペッシュは、モホリ=ナジによって、色彩と光の領域の教員として招聘された。1943年まで。

MIT時代

MITでは、ノーバート・ウィーナーマルセル・ブロイヤーバックミンスター・フラーヴァルター・グロピウスチャールズ・イームズエリク・H・エリクソンジェローム・ワイズナー等、科学者、数学者、教育者、心理学者など異分野の専門家との関係を持ちながら教鞭を執った。

今までの抽象絵画から、電子顕微鏡、レントゲン、ソナー、レーダー、赤外線センサー、高度天体望遠鏡などハイテクを使った新しい美術へと挑戦していった。その態度が、また、MITの若い建築科学生たちに影響した。

後のMITのCAVS (Center for Advanced Visual Studies) になる。(1968年)

生徒には、ケヴィン・リンチピオトル・コワルスキーなどがいた。

脚注

  1. ^ 上田篤、田端修『路地研究 もうひとつの都市の広場』鹿島出版会、2013年、218頁。ISBN 978-4-306-09423-9