初代ポーレット伯爵ジョン・ポーレット
初代ポーレット伯爵 (英語版 ) ジョン・ポーレット (英語 : John Poulett, 1st Earl Poulett KG PC FRS 、1668年 ?[ 1] – 1743年 5月28日 )は、イギリスの貴族、政治家。トーリー党 に属し、アン女王 の治世に大蔵卿 (英語版 ) (在任:1710年 – 1711年)、王室家政長官 (英語版 ) (在任:1712年 – 1714年)を歴任した[ 2] 。
生涯
第3代ポーレット男爵ジョン・ポーレット とスーザン・ハーバート(第5代ペンブルック伯爵フィリップ・ハーバート (英語版 ) の娘)の息子として、1668年ごろに生まれた[ 3] 。1679年に父からポーレット男爵の爵位を継承したが、貴族院 にはじめて登院したのは1696年11月24日のことであり[ 3] 、しかも登院しなければ収監するとの脅しがあってのことだった[ 2] 。
政治ではトーリー党 の一員だったものの、あまり熱心ではなかったという[ 2] 。1702年にアン女王 が即位すると、同年5月30日にデヴォン統監 (英語版 ) に、12月10日に枢密顧問官 に任命された[ 3] [ 2] 。1711年1月30日、デヴォン首席治安判事 (英語版 ) に任命された[ 4] 。1706年4月10日スコットランド王国 との合同条約 (英語版 ) 交渉におけるイングランド代表の1人に選出され、同年12月24日にイングランド貴族 のポーレット伯爵 とサマセット 州におけるヒントン子爵 に叙された[ 2] 。1710年8月8日から1711年5月30日まで大蔵卿 (英語版 ) を務めたが、名目上であり実際にはオックスフォード=モーティマー伯爵 が権力を握っていたとされる[ 2] 。ほかにも1711年6月12日から1714年8月まで王室家政長官 (英語版 ) を、1712年2月26日から1714年9月13日までサマセット首席治安判事 (英語版 ) を務め、1712年10月25日にガーター勲章 を授与された[ 2] 。1714年にジョージ1世 が即位すると全ての役職から解任された[ 2] 。
1706年4月3日と1713年1月29日の2度、王立協会フェロー に選出された[ 1] 。芸術家トマス・ギブソン (英語版 ) のパトロンであった。
議会で発言することは少なかったが、1711年1月にアルマンサの戦い への調査を発議し、1712年5月に第2代オーモンド公爵 を弁護、1716年4月に七年議会法案 に反対、アタベリー陰謀事件 をめぐり1723年5月にフランシス・アタベリー (英語版 ) への刑罰法案に反対するなど、一貫してトーリー党の立場をとった[ 2] 。しかし、長男ジョン が寝室侍従 (英語版 ) に任命されると与党側に転じ、1742年にはハノーファー 軍の支出をイギリスが肩代わりする議案を支持した[ 2] 。1743年5月28日に死去[ 2] 、6月3日にヒントン・セント・ジョージ (英語版 ) に埋葬された[ 1] [ 3] 。
家族
1702年4月23日、ブリジット・バーティー(Bridget Bertie 、1682年以前 – 1748年3月23日、ペレグリン・バーティー (英語版 ) の娘)と結婚[ 3] 、4男4女をもうけた[ 2] [ 5] 。
ジョン (1708年12月10日 – 1764年11月5日) - 第2代ポーレット伯爵[ 3]
ペレグリン (1708年12月10日 – 1752年8月28日) - 庶民院議員、生涯未婚。兄ジョンとは双子の関係[ 6]
ヴィアー (1710年5月18日 – 1788年4月14日) - 第3代ポーレット伯爵[ 7]
アン (英語版 ) (1711年7月11日 – 1785年7月5日) - 庶民院議員、生涯未婚。なお、アン(Anne )は一般的には女性の名前であるが、この人物は男性である[ 8]
ブリジット(1773年7月21日没) - 1724年5月21日、ポリクスフェン・バスタード(Pollexfen Bastard 、1733年没)と結婚、子供あり[ 9]
キャサリン(1758年8月16日没) - 1725年6月26日、ジョン・パーカー(John Parker )と結婚、子供あり[ 9] 。初代ボリンドン男爵ジョン・パーカー の母[ 10]
スザンナ(1788年没) - 生涯未婚[ 5]
レベッカ(1765年没) - 生涯未婚[ 5]
脚注
^ a b c "Poulett; John (? 1668 - 1743); 1st Earl Poulett" . Record (英語). The Royal Society . 2019年5月6日閲覧 。
^ a b c d e f g h i j k l Rigg, James McMullen (1896). "Poulett, John (1663-1743)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 46. London: Smith, Elder & Co . pp. 230–231.
^ a b c d e f Cokayne, George Edward ; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas , eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) . Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 620–621.
^ Sainty, John Christopher . "Custodes Rotulorum 1660-1828" . Institute of Historical Research (英語). 2019年7月13日時点のオリジナル よりアーカイブ。2019年5月6日閲覧 。
^ a b c Burke, Sir Bernard ; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1631.
^ Matthews, Shirley (1970). "POULETT, Hon. Peregrine (1708-52), of Hinton St. George, Som." . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月13日閲覧 。
^ Matthews, Shirley (1970). "POULETT, Hon. Vere (1710-88), of Hinton St. George, Som." . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月13日閲覧 。
^ Drummond, Mary M. (1964). "POULETT, Hon. Anne (1711-85)." . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月13日閲覧 。
^ a b Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 2 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1976.
^ Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 220.
外部リンク