ブロウは非常に若い頃にいくつかの聖歌を作曲している。例えば「主よ、あなたはわれらの避難所である Lord, Thou hast been our refuge」や「主よ、われを責めたもうな Lord, rebuke me not」、またいわゆる「クラブ・アンセム」である「われは常に感謝す I will always give thanks」などがある。最後のものはペラム・ハンフリーおよびウィリアム・ターナーとの共作で、1665年にイングランドがオランダに勝利したことを記念して、あるいはより単純に3人の聖歌隊員の友情を記念して作られた作品である。
またこの時期に、ロバート・ヘリックがチャールズ2世の頼みによってジャコモ・カリッシミの「Dite, o cieli」を模倣して製作した「行け、偽誓者よ Goe, perjur'd man」を二部構成に編曲することも行っている。1669年にブロウはウェストミンスター寺院のオルガニストとなった。1673年には王家礼拝堂のジェントルマンとなり、この年の9月にエリザベス・ブラドックと結婚した。彼女は10年後の出産時に亡くなっている。
1678年までには音楽学者となっていたブロウは、1685年にジェームズ2世付きの音楽家の一人として名を連ねることとなった。1680年から1687年までの間に、彼は記録の残っている限り唯一の舞台用作品を執筆している。それは国王を楽しませるために作られた仮面劇、「ヴィーナスとアドニス Venus and Adonis」である。この劇ではメアリー・デイヴィスがヴィーナスを演じ、彼女とチャールズ2世の娘であるレディ・メアリー・テューダーがキューピッド役で出演した。
ブロウの作品として、14曲の典礼音楽と100曲以上の聖歌が知られている。これら純粋な教会音楽に加えて、新年用の頌歌や聖セシリア祭のための頌歌、ジェームズ2世の即位を記念する2曲の聖歌(「見よ、おお、われらが庇護者なる神よ Behold, O God, our Defender」と「God spake sometimes in visions」)、ヘンリー・プレイフォードの「音楽のはしため Musick's handmaid」(1689年)のための数曲のハープシコード作品、「女王メアリーのための挽歌」(1695年)、「パーセルの死に寄せる頌歌」(1696年)なども作曲している。1700年に彼は、通奏低音付きの一声・二声・三声・四声の音楽作品を集めた「アンフィオン・アングリカス Amphion Anglicus」を出版した。