ジョシュ・フィールズ
Josh Fields
|
基本情報 |
---|
国籍 |
アメリカ合衆国 |
---|
出身地 |
オクラホマ州エイダ |
---|
生年月日 |
(1982-12-14) 1982年12月14日(41歳) |
---|
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 220 lb =約99.8 kg |
---|
選手情報 |
---|
投球・打席 |
右投右打 |
---|
ポジション |
三塁手、一塁手、左翼手 |
---|
プロ入り |
2004年 MLBドラフト1巡目 |
---|
初出場 |
MLB / 2006年9月13日 NPB / 2011年7月10日 |
---|
最終出場 |
NPB / 2011年10月6日 |
---|
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
---|
|
|
ジョシュア・ディーン・フィールズ(Joshua Dean "Josh" Fields , 1982年12月14日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身の元プロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。現在は読売ジャイアンツ駐米スカウト。
経歴
ホワイトソックス時代
2004年にシカゴ・ホワイトソックスからドラフト1巡目(全体18番目)で指名され契約。
2006年はAAA級シャーロットで打率.305、19本塁打、70打点、OPS.894、28盗塁の成績を残し、オールスター・フューチャーズゲームにも出場。9月13日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦の9回からレフトの守備につきメジャーデビュー。9月18日、デトロイト・タイガース戦の9回に代打で出場し、ホワイトソックス史上3人目のメジャー初打席初本塁打を記録した。
2007年は、腰を故障したジョー・クリーディに代わり、6月から三塁手としてメジャーに定着。100試合に出場し、打率.244、OPS.788と低調だったものの、リーグのルーキー最多の23本塁打を放ち67打点をマーク。特に9月の第3週目には、21日のミネソタ・ツインズ戦でヨハン・サンタナから2本塁打を放つなど打率.525、長打率1.190と打棒が爆発し、週間MVPを獲得した。また、クリーディが復帰する来期以降に備え、左翼手としても21試合に出場した。
2008年は、故障から復帰するクリーディと共に正三塁手候補、また前年オフにトレードで獲得したカルロス・クエンティンと共に正左翼手候補としても期待された。しかし開幕から膝の故障に悩まされ、メジャーでは14試合の出場で打率.156、OPS.416。AAA級シャーロットでも75試合の出場で打率.246、OPS.772と期待を大きく裏切る成績に終わり、9月には膝の内視鏡手術を受けた。
2009年は三塁手のほか、一塁手としても17試合に出場。7月23日にチームメイトのマーク・バーリーが完全試合を達成した試合では一塁を守り、2回に先制満塁本塁打を打ち、最終回には27個目のアウトとなるアレクセイ・ラミレスからの送球を捕球した。このシーズンは79試合の出場で7本塁打を放ったが、打率は.222に留まり、マイナー降格も経験した。
ロイヤルズ時代
2009年11月6日、クリス・ゲッツと共にマーク・ティーエンの交換要員としてカンザスシティ・ロイヤルズに移籍した。
2010年は開幕から股関節を痛めDL入りし、9月3日のデトロイト・タイガース戦で復帰し、13試合出場。打率.306、OPS.810を記録した。12月20日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ。
2011年はスプリングトレーニングで21試合に出場し打率.172、OPS.512の成績に終わった。
ロッキーズ傘下時代
2011年3月28日にコロラド・ロッキーズへ移籍し、傘下のAAA級コロラドスプリングスで開幕を迎えた。6月下旬までに50試合に出場し、打率.365、11本塁打、OPS1.103、7盗塁の成績を挙げていた。6月23日に読売ジャイアンツが獲得に動いていることが報じられた[1]。6月28日に放出された。
巨人時代
2011年7月1日に読売ジャイアンツとシーズン終了までの契約を結んだことを発表[2]。年俸など総額50万ドル(約4000万円)[3]。7月14日に入団会見をした。入団後は打撃不振に陥り8月5日に2軍落ちするも、ラスティ・ライアルが不振や試合放棄で2軍降格したために9月6日に再昇格。9月18日、中日ドラゴンズ戦でエンジェルベルト・ソトからようやく来日初本塁打を放った。その後は左投手相手にスタメンで起用され好成績を残すも、右投手相手には全く打てず10月7日に再び2軍落ち、そのままシーズンを終えた。結局シーズントータルでの成績は打率.202、2本塁打、OPS.553と低調に終わり、契約は更新されず退団となった。
巨人退団後
2012年1月4日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。この年はAAA級アルバカーキ・アイソトープスで133試合に出場して打率.322、13本塁打を放った。11月3日にFAとなり、11月16日にフィラデルフィア・フィリーズと契約。
2013年はAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで109試合に出場。11月5日にFAとなった。
2014年はメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツに所属。
2015年もカンペチェ・パイレーツと契約したが、5月6日に解雇となる。
選手としての特徴
広角に打球を打ち分け、ポール・コネルコに勝るとも劣らないと評価された長打力を持ち味とする[4]。左投手に強く、2010年までのメジャー通算で右投手には打率.209・OPS.623だが、左投手には打率.293・OPS.957を残している。速球に強いが変化球に弱く[5]、三振の多さとDRSとUZR共に平均を大きく下回る三塁守備を課題としている[6]。左翼手として起用できるか試されたこともあるが、不合格とされた[4]。巨人時代はチーム事情で一塁手を守ることもあった。日本では守備は無難にこなしており、2011年の失策は一塁三塁共に0だった。
大学時代はアメリカンフットボールのクォーターバックとしても活躍した[7]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2006
|
CWS
|
11 |
25 |
20 |
4 |
3 |
2 |
0 |
1 |
8 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0 |
0 |
8 |
0 |
.150 |
.320 |
.400 |
.720
|
2007
|
100 |
418 |
373 |
54 |
91 |
17 |
1 |
23 |
179 |
67 |
1 |
1 |
6 |
3 |
35 |
0 |
1 |
125 |
11 |
.244 |
.308 |
.480 |
.788
|
2008
|
14 |
35 |
32 |
3 |
5 |
1 |
0 |
0 |
6 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
17 |
0 |
.156 |
.229 |
.188 |
.417
|
2009
|
79 |
268 |
239 |
29 |
53 |
5 |
2 |
7 |
83 |
30 |
2 |
3 |
2 |
0 |
25 |
0 |
2 |
76 |
5 |
.222 |
.301 |
.347 |
.648
|
2010
|
KC
|
13 |
50 |
49 |
5 |
15 |
0 |
0 |
3 |
24 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
9 |
1 |
.306 |
.320 |
.490 |
.810
|
2011
|
巨人
|
40 |
116 |
109 |
9 |
22 |
4 |
1 |
2 |
34 |
9 |
0 |
0 |
0 |
1 |
4 |
0 |
2 |
32 |
2 |
.202 |
.241 |
.312 |
.553
|
MLB:5年
|
217 |
796 |
713 |
95 |
167 |
25 |
3 |
34 |
300 |
107 |
3 |
4 |
8 |
3 |
69 |
0 |
3 |
235 |
17 |
.234 |
.303 |
.421 |
.724
|
NPB:1年
|
40 |
116 |
109 |
9 |
22 |
4 |
1 |
2 |
34 |
9 |
0 |
0 |
0 |
1 |
4 |
0 |
2 |
32 |
2 |
.202 |
.241 |
.312 |
.553
|
年度別守備成績
年 度 |
一塁 |
三塁
|
試合 |
刺殺 |
補殺 |
失策 |
併殺 |
守備率 |
試合 |
刺殺 |
補殺 |
失策 |
併殺 |
守備率
|
2011 |
16 |
105 |
11 |
0 |
6 |
1.000 |
23 |
8 |
20 |
0 |
1 |
1.000
|
通算
|
16 |
105 |
11 |
0 |
6 |
1.000 |
23 |
8 |
20 |
0 |
1 |
1.000
|
記録
- NPB
背番号
- 27 (2006年 - 2007年)
- 22 (2008年 - 2009年)
- 7 (2009年)
- 11 (2010年)
- 25 (2011年)
脚注
関連項目
外部リンク