ジュリアス・チェイジェスジュリアス・チェイジェス(Julius Chajes、1910年12月21日 - 1985年2月24日)は、ユダヤ系アメリカ人の作曲家・ピアニスト。 オーストリア=ハンガリー帝国のレンベルク(現在のウクライナのリヴィウ)出身。歯科医師の父とピアニストの母との間に生まれ、母からピアノの手ほどきを受けた。 1920年に遠戚でラビのツヴィ・ペレツ・ハイェスを頼ってウィーンに移住し、ピアノをモーリツ・ローゼンタール夫妻らに、作曲をフーゴ・カウダーに師事した。9歳で神童としてピアノリサイタルを開いて作曲作品を披露し、15歳の時に『ロマン的幻想曲』がウィーン交響楽団によって演奏された。1933年の国際ピアノコンクールでウィーン市から優秀賞を贈られたが、1934年にパレスチナへの移住を決断し、お別れコンサートではロゼー弦楽四重奏団によって『弦楽四重奏曲第2番』と『弦楽四重奏曲第3番』が演奏された。 テルアビブでは音楽アカデミーでピアノを教えるかたわら、ユダヤ音楽の起源と発展を研究し、ユダヤ音楽の影響を受けた作曲スタイルを確立した。 1937年にアメリカ合衆国に移住し、翌年にニューヨークでアメリカデビューを果たした。1940年からデトロイトのユダヤ人コミュニティーの音楽指導にあたり、1950年からウェイン州立大学で教鞭をとった。その他にも自らのオーケストラを創設したり、ピアニストとしてポール・パレー率いるデトロイト交響楽団と共演を行ったりした。 作曲家としてコンサートホールのための音楽とシナゴーグのための音楽の両方を作曲し、アメリカのユダヤ音楽に大きな影響を与えた。また宗教的にはユダヤ教・カトリック・プロテスタントの相互理解に努めた。 作品
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