ジュゼッペ・ディ・ボルボーネ=パルマ
ジュゼッペ・ディ・ボルボーネ=パルマ(イタリア語: Giuseppe di Borbone-Parma, 1875年6月30日 - 1950年1月7日)は、ボルボーネ=パルマ家の家長および名目上のパルマ公(1939年 - 1950年)。 生涯最後のパルマ公で既にパルマを追われていたロベルト1世と、最初の妻の両シチリア王女マリーア・ピアの間に三男(第6子、ただし長兄フェルディナンドは誕生後間もなく夭逝しており、実質的には次男)としてビアリッツに生まれる。 1939年、兄エンリコの死によりボルボーネ=パルマ家の家長、および名目上のパルマ公ジュゼッペ1世(イタリア語: Giuseppe I)となった。しかし、兄と同様にジュゼッペも知的障害であったため、弟エリアが引き続き摂政として事実上の家長の役割を果たした。兄と同様に独身で子がなかったため、1950年にジュゼッペが死去した後はエリアが跡を継いだ。
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