ジャン・デュヴュザー
ジャン・ピエール・デュヴュザー(英語:Jean Pierre Duvieusart、1900年4月10日 - 1977年10月11日)は、ベルギーの政治家(キリスト教民主主義)。第48代ベルギー首相、欧州議会議長を務めた。 政治経歴地方時代・閣僚1900年4月10日にフラーヌ=レ=ゴスリーに誕生する。デュヴュザーは中道民主・人道主義の前身であるキリスト教社会党に入ることで政治家として歩みだすことになった。1927年から1947年にかけて出身地フラーヌの市長を務める。1933年から1936年の間は州議会議員を務め、1944年には代議院議員、1949年から1965年にかけては元老院議員を務めた。 1947年3月20日から1950年6月8日まで、ポール=アンリ・スパーク、ガストン・アイスケンス両政権で経済相を務めた。 首相1950年6月8日にアイスケンスの後任として首相に就任する。ところがレオポルド3世の王位復帰問題とボードゥアン1世の王太子任命を受けて首相としての任期はわずか2か月余りにとどまり、同年8月16日に退陣することとなった。 その後、1952年1月15日から1954年4月23日にかけてジャン・ヴァン・ウット政権で経済相を務めた。在任期間中の1952年から1953年の間、デュヴュザーは欧州石炭鉄鋼共同体の閣僚理事会において議長を務めていた。 欧州議会議長1958年から1965年にかけてデュヴュザーは欧州議会の議員を務めていた。1964年3月20日から1965年9月23日の間には欧州議会議長を務める。議長の任期満了後、デュヴュザーはキリスト教社会党を離党する。 1968年にデュヴュザーはフランス語系ブリュッセル民主戦線及びワロン連合の代表となるが、1972年に政界を引退する。 参考文献等
外部リンク
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