ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン (フランス語: Jeanne-Marie Leprince de Beaumont (発音: [ʒan maʁi ləpʁɛ̃s də bomɔ̃] ( 音声ファイル)), 1711年4月26日 - 1780年9月8日) は、『美女と野獣』の最も重要な部分を書いたフランスの作家である[1]。ボーモンの三番目の夫はフランスのスパイであったトーマス・ピション(Thomas Pichon)である。日本ではボーモン夫人として知られている[2]。
人生と仕事
ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモンは1711年にルーアンで生まれ、1780年に亡くなった。11歳のときに母親を亡くしている。その後、ボーモンと妹は、ルーアンのアーネモントにある修道院学校に在籍していた女性から1725年から1735年まで教育を受けた[3]。
ボーモンのは1737年にダンサーのアントワーヌ・モルターとの結婚した。Grimard deBeaumontとの2度目の結婚の詳細は不明である。しかし、ボーモンはエリザベスという名前の娘を産んだことが分かってる。
1748年、夫婦間の不貞に反応し夫から離れ、彼女はフランスを離れ、いくつかのおとぎ話を書いた。その中には、ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ(Gabrielle-Suzanne de Villeneuve)のオリジナルを元にした美女と野獣の要約版があった[4]。イギリスでの出版のキャリアが成功した後、彼女は1763年に娘のエリザベスと婿のモローと一緒にイギリスを離れた。彼女は最初にアヌシー市近くのサボイに住み、1774年にディジョン近くのアバロンに引っ越した。
ボーモンは約70冊の書籍を出版した[5]。他にも雑誌『新フランス誌』を刊行したりした。
作品
小説
- Jeanne-Marie Leprince de Beaumont『Beauty and the Beast|La Belle et la Bête』Illustrator Willi Glasauer、Gallimard Jeunesse、1983年。ISBN 978-2-07-053881-2。
おとぎ話
- Magasin des enfants
- Le Prince Chéri (Prince Darling) シェリー王子の物語 村松潔訳
- La Curiosité (The Curiosity)
- La Belle et la Bête (Beauty and the Beast) 美女と野獣 小林正他訳
- Le Prince Fatal et le Prince Fortuné (Prince Fatal and Prince Fortune)
- Le Prince Charmant (Prince Charming)
- La Veuve et ses deux filles (The Widow and her Two Daughters)
- Le Prince Désir (Prince Hyacinth and the Dear Little Princess) デジール王子 村松潔訳
- Aurore et Aimée (Aurore and Aimée) オロールとエーメ 村松潔訳
- Conte des trois souhaits (The Tale of the Three Wishes) 三つの願いの物語 村松潔訳
- Conte du pêcheur et du voyageur (The Tale of the Fisherman and the Traveler) 漁師と旅人 村松潔訳
- Joliette ジョリエット 村松潔訳
- Le Prince Tity (Prince Tity) ティティ王子 村松潔訳
- Le Prince Spirituel (Prince Spirituel) スピリチュエル王子 村松潔訳
- Belote et Laidronette (Belote and Laidronette) きれいな娘と醜い娘 村松潔訳
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク