初代クリフデン子爵 (英語版 ) ジェームズ・エイガー (英語 : James Agar, 1st Viscount Clifden PC (Ire) 、1734年 3月25日 – 1788年 12月29日 [ 1] )は、アイルランド王国 の政治家、貴族。弟に初代ノーマントン伯爵チャールズ・エイガー がいる。
生涯
アイルランド庶民院 議員ヘンリー・エイガー (英語版 ) (1746年11月18日没)とアン・エリス(Anne Ellis 、ウェルボア・エリス (英語版 ) の娘)の息子として、1734年3月25日に生まれた[ 2] 。
1753年から1760年までゴウラン選挙区 (英語版 ) の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた後、1761年にキルケニー・カウンティ選挙区 (英語版 ) に転じ、1776年に再びゴウラン選挙区に転じた[ 1] 。1768年の選挙ではゴウラン選挙区[ 1] とトマスタウン選挙区 (英語版 ) [ 3] でも当選したが、キルケニー県選挙区の代表として議員を務めた[ 1] 。1776年7月27日にアイルランド貴族 であるキルケニー県 におけるゴウランのクリフデン男爵 に叙され、1777年10月14日にクリフデン男爵としてアイルランド貴族院 議員に就任した[ 2] 。1781年1月12日、同じくアイルランド貴族であるキルケニー県におけるゴウランのクリフデン子爵 に叙され、同年10月9日にクリフデン子爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[ 2] 。
1771年にアイルランド歳入長官(Commissioner of the Revenue )、1776年にアイルランド関税長官(Commissioner of the Excise )に任命され、いずれも1785年まで務めた[ 2] 。子爵叙爵の後、1784年10月16日にアイルランド枢密院 (英語版 ) の枢密顧問官に任命され、同年から死去までアイルランド郵政長官 (英語版 ) の1人を務めた[ 2] 。
1788年12月29日にゴウラン (英語版 ) にて没[ 1] 、同地で埋葬された[ 2] 。息子ヘンリー・ウェルボア が爵位を継承した[ 2] 。
家族
1760年3月20日、ルシア・マーティン(Lucia Martin 、1732年頃 – 1802年7月26日、陸軍大佐ジョン・マーティンの娘)と結婚[ 2] 、3男1女をもうけた[ 4] 。
ヘンリー・ウェルボア (1761年 – 1836年) - 第2代クリフデン子爵、第2代メンディップ男爵
ジョン・エリス(John Ellis 、1764年12月31日 – 1797年1月3日) - 1792年3月11日、ハリエット・フラワー(Harriet Flower 、1813年6月14日没、第2代アシュブルック子爵ウィリアム・フラワー の娘)と結婚
チャールズ・バグナル(Charles Bagenal 、1769年8月13日 – 1811年6月11日) - 1804年11月15日、アンナ・マリア・ハント(Anna Maria Hunt 、1851年3月3日没、トマス・ハントの娘)と結婚、子供あり。初代ロバーツ男爵トマス・エイガー=ロバーツ (英語版 ) の父
アン・エミリア(Anne Emilia 、1821年没)
出典
^ a b c d e "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800" . Ulster Historical Foundation (英語). 2020年4月6日閲覧 。
^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 287–288.
^ Accounts and Papers (英語). Vol. 11. House of Lords. p. 670.
^ "Clifden, Viscount (I, 1781 - 1974)" . Cracroft's Peerage (英語). 12 July 2004. 2020年4月6日閲覧 。