ジェームス・ティビッツ・ウィルモア (James Tibbits Willmore、1800年 9月 (バーミンガム )- 1863年 3月12日 (ロンドン ))は、イギリス出身のエングレービング 作家および王立芸術院 会員である[ 1] [ 2] 。
経歴
イングランドのスタッフォードシャー州 (現在のウェスト・ミッドランズ州 )ハンズワース (英語版 ) のブリストナルズ・エンドで生まれる。以下 の引用に見られるように、彼のミドルネームの綴りには同時代の権威者との違いがある。
父親のジェイムズ・ウィルモアは銀製食器製造業者であった。14歳の頃、ウィルモアはバーミンガム出身のエングレービング作家ウィリアム・ラドクリフ (英語版 ) に弟子入りした。彼と共に修業した弟のアーサー・ウィルモア(1814年 - 1888年)も兄と同じエングレービング作家となる。ラドクリフはバーミンガム出身の画家ジョセフ・バーバー からデッサンの授業を受けたことがあった。結婚後の1823年にロンドンに移り住み、エングレービング作家チャールズ・ヒース (英語版 ) の許で3年間働いた。のちにウィリアム・ブロッケドン (英語版 ) 画の「アルプスの峠」やターナー 画の「イングランドとウェールズ」の図版を手がけた。
シャロン、リーチ、スタンフィールド、ランドシーア、イーストレイク、クレスウィック(トマス・クレスウィック (英語版 ) )、アンズデルなどから学び取り、特にターナーに倣ってエングレービング作品を制作したとされる。ウィルモアは1828年から始まるターナーの『イングランドとウェールズ」シリーズ向けに13枚の銅版画、さらには「フランスの川」向けに8枚の鉄版画を彫り上げた。ターナーの作品向けの図版を彫り上げた後、1842年の「古代イタリア」などの一枚板の図版を数多く制作した。翌年に王立芸術院にこの作品を出品し、王立芸術院におけるエングレービング作家に選出された[ 3] 。
1863年3月12日に没し、ハイゲイト墓地 の西側に埋葬されている[ 4] 。
ギャラリー
「テルニの滝」(
サミュエル・プラウト (絵)、ジェームス・ティビッツ・ウィルモア(エングレービング))(1830年)
「ウルスウォーター」 (ターナー画「イングランドとウェールズの美しき風景」向けに制作されたジェームス・ティビッツ・ウィルモアによるエングレービング)
「ホプトンでの戦い」(ジョージ・キャターモール(1800年 - 1868年)(絵)、ジェームス・ティビッツ・ウィルモア(エングレービング))
「大きな網を持って岩場で釣りをする3人の若者たち」 (W. コリンズ(絵)、ジェームス・ティビッツ・ウィルモア(エングレービング))
チャールズ・ロック・イーストレイク「貴族バイロンの夢」に基づくエングレービング
ハイゲイト墓地 にあるジェームス・ティビッツ・ウィルモアの墓
脚注
^ Gilman, Daniel Coit; Peck, Harry Thurston; Colby, Frank Moore (1909). “WILL´MORE , JAMES TIBBITS” . The New International Encyclopædia . 20 . p. 541. https://books.google.com/books?id=VSUVAAAAYAAJ&pg=PA541
^ 'Obituary: Mr. James Tibbetts [sic] Willmore, ARA', The Art Journal , May 1863, pp. 87–88.
^ Joll, Evelyn; Butlin, Martin; Hermann, Luke, eds (2001). The Oxford Companion to J.M.W. Turner . Oxford: Oxford University Press. p. 385. ISBN 0-19-860025-9 . https://archive.org/details/oxfordcompaniont0000unse_f4d5
^ Cansick, Frederick Teague (1872). The Monumental Inscriptions of Middlesex Vol 2 . J Russell Smith. p. 123. https://archive.org/details/acollectioncuri03cansgoog/page/n156/mode/2up 15 October 2021 閲覧。
外部リンク