ジェフ・クベンカ
Jeff Kubenka基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
テキサス州ワイマール |
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生年月日 |
(1974-08-24) 1974年8月24日(50歳) |
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身長 体重 |
186 cm 86 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1996年 ドラフト38巡目 |
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初出場 |
MLB / 1998年9月6日 NPB / 2001年4月29日 |
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最終出場 |
MLB / 1999年8月8日 NPB / 2001年5月2日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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ジェフリー・スコット・クベンカ(Jeffrey Scot "Jeff" Kubenka , 1974年8月24日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴
1996年のMLBドラフトにてロサンゼルス・ドジャースから38巡目で指名され契約。
1998年9月6日にメジャーデビュー。9月8日に初勝利を挙げるなど、そのシーズンは9回1/3を自責点1に抑える。
1999年は6試合で防御率11.72と打ち込まれる。9月にウェーバーにかけられ、アリゾナ・ダイアモンドバックスが獲得するも、シーズン途中にオークランド・アスレチックスに移籍。メジャーには昇格出来なかった。
2001年シーズン開幕直後、左腕投手が不足していた山本功児監督率いる千葉ロッテマリーンズに入団した。4月29日の対西武ライオンズ戦で初登板初先発を果たすも、8人の打者に対してアウト2つのみ、3失点でなおも二死満塁となったところでKOされた(味方が一度は逆転したため勝敗つかず)。その後、中継ぎで2度登板するが5月4日に二軍落ち。以降はネイサン・ミンチーとブライアン・シコースキーの陰に隠れ、一軍に上がることなく9月24日に解雇された。なお、入団を検討する際に使われた資料ビデオは撮影場所が原っぱのようなところで、見ても評価のしようがなかったという[1]。カーブ、フォークボールが武器。
2002年に、メキシカンリーグで1年間プレーして引退した[2]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1998
|
LAD
|
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
40 |
9.1 |
4 |
0 |
8 |
0 |
0 |
10 |
1 |
0 |
1 |
1 |
0.96 |
1.29
|
1999
|
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
.000 |
42 |
7.2 |
13 |
1 |
4 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
12 |
10 |
11.74 |
2.22
|
2001
|
ロッテ
|
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
.000 |
13 |
2.0 |
4 |
0 |
4 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
4 |
4 |
18.00 |
4.00
|
MLB:1年
|
12 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
-- |
.500 |
82 |
17.0 |
17 |
1 |
12 |
0 |
0 |
12 |
1 |
0 |
13 |
11 |
5.82 |
1.71
|
NPB:1年
|
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
.000 |
13 |
2.0 |
4 |
0 |
4 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
4 |
4 |
18.00 |
4.00
|
記録
- NPB
背番号
- 67 (1998年)
- 45 (1999年)
- 42 (2001年)
脚注
- ^ 山本功児 なんとなく幸せ(24)東スポWeb 2012年12月11日配信
- ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=kubenk001jef
関連項目
外部リンク