ジェイムズ・ハガティ
ジェイムズ・キャンベル・ハガティ(英語: James Campbell Hagerty, 1909年5月9日 - 1981年4月11日)は、ドワイト・D・アイゼンハワー政権期(1953年 - 1961年)における唯一のホワイトハウス報道官である。スティーヴン・アーリーと共に、彼はこれまでで最も長く報道官の職に就いた。 生涯ハガティはニューヨーク市ブロンクス区のエヴァンダー・チャイルズ高校に通い、ブレア・アカデミーを卒業した。同アカデミーには、高校での最後の2年間出席した[1]。ハガティは報道官時代の1957年3月、テレビ番組『What's My Line』に出演した。 安保闘争当時の1960年6月10日、アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日したものの、安保反対派のデモ隊に迎えの車を包囲されて立往生し、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救出された「ハガチー事件」(当時の日本の報道機関の表記。肩書も「新聞係秘書」[2]、「新聞秘書官」[3]であった)の当事者である。結局アイゼンハワーの来日は中止となった。 ハガティの次の言葉は、よく引合いに出される。「ある日私は、ほとんど絶望し、座り込んで考えていた。誰かの手が私の肩を叩き、励ますような声でこう言った。『元気を出せよ。もっと悪くなる可能性だってあったんだからさ。』 そこで元気を出してみると、なるほど確かに事態はもっと悪くなった。」 脚注
外部リンク
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