シンピウェ・ノンクアイ
シンピウェ・ノンクアイ(Simphiwe Nongqayi、1972年2月18日 - )は、南アフリカ共和国の男子プロボクサー。元国際ボクシング連盟(IBF)世界スーパーフライ級王者。東ケープ州ボーダーポスト出身。 来歴2002年9月14日、30歳と遅めでプロデビューを果たし4回判定勝ち。 3戦目を終えて全勝を守ったが、怪我の影響で2年間のブランクを作る。 復帰後は試合勘を戻すべく2004年には3試合、2005年には5試合とハイペースで、同年代の中堅選手やデビューしたばかりの選手を相手に経験を積んだ。 2006年12月15日、クフリレ・マケベと西ケープ州キムベリーのジム・サマーズ・ホールで空位のWBU世界スーパーフライ級王座決定戦を行い、8回1分43秒TKO勝ちを収め、王座獲得に成功した。 2007年5月11日、ラファエル・ティラドと対戦し、7回1分56秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。 2007年8月17日、フェリシアーノ・ダリオ・アズアガと対戦し、81戦の歴戦の猛者でカウンターパンチャーのアズアガを相手に5回1分52秒TKO勝ちを収め、2度目の防衛に成功した。 2008年5月9日、ジュリオ・デビット・ロクエア・レアとヨハネスブルグナスレク・インドア・アリーナで対戦した。3回にノンクアイが初ダウンを奪われたが、ダウンを乗り切り12回3-0(118-110、116-112、116-111)の判定勝ちを収め、この試合の勝利でIBF世界スーパーフライ級のランカー入りを果たす。 2009年2月28日、初の国外試合でメキシコのリングに登場。シナロア州ロスモチスのポリデポーティヴォ・センテナリオにて、後の世界5階級制覇を果たすホルヘ・アルセの弟フランシスコ・アルセと、WBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級スーパー王者ビック・ダルチニアンへの挑戦権を賭けた試合を行った。試合前の前評判は地元のアルセの圧倒的優位が伝えられた。試合は好戦的パンチャーアルセと南アフリカの軽量級界切っての技巧派ノンクアイが交互にラウンドを取る展開。その後ノンクアイが11回にアルセからダウンを奪い、12回3-0(3者とも116-111)の判定勝ちを収め、前評判を覆しダルチニアンへの挑戦権獲得に成功した。 2009年9月15日、ダルチニアンがバンタム級に挑戦し失敗したため、WBAとWBCから指名試合を通達され、IBF世界スーパーフライ級王座返上に伴った王座決定戦をカンクンのプラザ・デ・トロスで行い、スーパーフライ級王座2冠を目指していたホルヘ・アルセと対戦。7か月前に弟フランシスコが敗れたため、今度は兄がリベンジに燃えていた。弟以上に好戦的なアルセをコントロールし、3-0(117-111、117-112、116-112)の判定勝ちを収め、兄弟に返り討ちをし王座獲得に成功した。 2010年4月9日、フランス、マシーのセントレ・オムニスポールにてマリク・ボウジアネと対戦し、12回0-1(2者が114-114、113-115)の引き分けに終わり初防衛に成功した。あわや逆転でボウジアネに逆転での戴冠を許すところだった。 2010年7月31日、ナヤリット州テピクのエル・パレンクエ・デ・ラ・フェリアにてファン・アルベルト・ロサスと対戦し、6回にダウンを奪われると、最後はレフェリーストップがかかり試合終了。6回1分0秒TKO負けを喫し、プロ初黒星で2度目の防衛に失敗し王座から陥落した。 2011年9月24日、バハ・カリフォルニア州メヒカリのアウディトリオ・デル・エスタドにて、WBO世界スーパーバンタム級王者ホルヘ・アルセと2年振りに再戦。ノンクアイはこの試合が1年2か月振りの復帰戦で、2階級飛ばしてスーパーバンタム級に転向していきなりの世界戦だった。一方アルセは、前回ダウンを挽回して大逆転でメキシコ初の4階級制覇を達成しており、勢いがあった。試合はそれまでの減量苦が嘘のようにアルセが全開でスタート。初回に左右ストレートでダウンを奪ってアルセが先制。その後はアルセが飛ばしまくり、前回の試合で打たせてもらえなかった試合とは一変、アルセペースになった。その後4回、偶然のバッティングでアルセの右目の上をカットし、ノンクアイに追い打ちをかけるように減点。再開後再びピンチに陥ったアルセが反撃し、ロープに追われ打たれまくり守りに回って止まった所に、レフェリーが試合を止めた。4回2分1秒TKO負けを喫し、2階級制覇失敗と2年前のリベンジを許した[1]。 2012年12月16日、1年3か月振りの復帰戦をイーストロンドンのオリエンタルシアターにてテャボ・ソンジカと対戦し、3回1分24秒TKO負けを喫し、再起に失敗したのを最後に現役を引退した。 獲得タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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