シルバヌス・オリンピオシルバヌス・エピファニオ・オリンピオ(Sylvanus Epiphanio Olympio, 1902年9月 - 1963年1月13日)は、トーゴの政治家で初代大統領(在任1960年-1963年)。 経歴オリンピオは1902年ロメで生まれ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済を学び、1926年卒業するとユニリーバへと入社した。 トーゴ南部のエウェ族を基盤として政治活動をスタートし、「トーゴ統一委員会 (CUT) 」を結成して反フランス運動を展開した。 トーゴがフランス領であった1958年、自治政府首相に就任。1960年4月27日の独立後は初代大統領となり、国家元首である大統領と行政府長官たる首相を兼任することで、実権を掌握した。 オリンピオはテオフィレ・マリー内相の下で反対派弾圧を強化した。しかし、ガーナとの対立から国境閉鎖を実施し、経済混乱を招くなど、政権への不満は高まった。 1963年1月13日、後に大統領として独裁政権を敷くこととなるニャシンベ・エヤデマ軍曹が参加する軍事クーデターで殺害され、大統領職はオリンピオのライバルであったニコラ・グルニツキー氏に引き継がれた。 現与党トーゴ人民連合政権に対抗する有力者、ジルクリスト・オリンピオは、シルバヌス・オリンピオの息子である。 関連項目
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