ショーン・ノリン
ショーン・パトリック・ノリン(Sean Patrick Nolin, 1989年12月26日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ナッソー郡シーフォード出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入り前2008年のMLBドラフト50巡目(全体1492位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名されたが、サンジャシント大学へ進学した。 2009年のMLBドラフト48巡目(全体1433位)でシアトル・マリナーズから指名されたが、サンジャシント大学ノースキャンパスへ編入した。 プロ入りとブルージェイズ時代2010年のMLBドラフト6巡目(全体186位)でトロント・ブルージェイズから指名され、7月13日に契約。傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブルージェイズで1試合に登板し、8月にA-級オーバーン・ダブルデイズへ昇格。6試合に登板し、0勝2敗・防御率6.05だった。 2011年はA級ランシング・ラグナッツで25試合に登板し、4勝4敗1セーブ・防御率3.49だった。 2012年はA+級ダニーデン・ブルージェイズで17試合に登板し、9勝0敗・防御率2.19だった。8月にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツへ昇格。3試合に登板し、1勝0敗・防御率1.20だった。 2013年はAA級ニューハンプシャーで開幕を迎え、5月24日にブルージェイズとメジャー契約を結んだ[1]。同日のボルチモア・オリオールズ戦で先発起用されメジャーデビュー。1.1回を投げ7安打6失点の乱調で、メジャー初黒星を喫した[2]。翌25日にAA級ニューハンプシャーへ降格した[3]。この年は1試合の登板にとどまった。 2014年3月16日にAAA級バッファロー・バイソンズへ異動し、そのまま開幕を迎えた。 アスレチックス時代2014年1月28日にジョシュ・ドナルドソンとのトレードで、ブレット・ロウリー、フランクリン・バレト、ケンドール・グレーブマンと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[4]。 2015年は開幕に出遅れて5月に戦列復帰。3Aでプレー後、9月にメジャー昇格を果たしてシーズン終了まで先発ローテーションとして起用された。6試合に登板し、防御率5.28だったが、メジャー初勝利を挙げた。 2016年2月12日にクリス・デービスの加入に伴い、DFAとなった[5]。 ブルワーズ傘下時代2016年2月22日にウェイバー公示を経てミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[6]。開幕から15日間の故障者リストに入り、4月2日に60日間の故障者リストに移行した[7]。10月28日に40人枠から外れ、AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスに降格した[7]。 2017年11月6日にFAとなった。 ロッキーズ傘下時代2018年2月18日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。2Aに配属されたが、故障で開幕に出遅れて5月下旬に戦列復帰した。この年は主にリリーフとして起用された。11月2日にFAとなった。 ホワイトソックス傘下時代2019年2月28日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ。2Aで4試合に登板したが結果を残せず、4月25日に契約解除された。 独立リーグ時代2019年5月5日に独立リーグアトランティック・リーグのロングアイランド・ダックスに所属。8試合に登板して無傷の6勝を挙げた。 マリナーズ傘下時代2019年7月7日に金銭トレードでシアトル・マリナーズに移籍。AAA級タコマ・レイニアーズに配属され、15試合で6勝を挙げた。11月4日にFAとなった。 西武時代2019年12月6日に埼玉西武ライオンズが獲得を発表した[8]。背番号は49[9]。 2020年8月29日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)でNPB初勝利を挙げた[10]。 12月2日に来季の契約を結ばない旨が発表され[11]、同日付で自由契約公示された[12]。 ナショナルズ時代2021年4月25日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び、AAA級ロチェスター・レッドウイングスに配属された[7]。8月11日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[13]。オフの11月3日にFAとなったが、9日にマイナー契約で再契約した[14]。 起亜時代2022年1月9日、KBOリーグの起亜タイガースに入団したと発表された[15]。同年オフに自由契約となった[16]。 投球スタイルオーバースロー、サイドスロー、2段モーション、トルネード、クイックなどの多彩なフォームを打者や状況によって使い分ける投球が特徴である[17][18][19]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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