サン=フィルベール=ド=グラン=リュー
サン=フィルベール=ド=グラン=リュー (Saint-Philbert-de-Grand-Lieu、ブルトン語:Sant-Filberzh-Deaz)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ロワール=アトランティック県のコミューン。 トゥルニュの聖フィリベール(fr:Saint Philibert de Tournus)の聖遺物の一部を祀る、カロリング朝期9世紀のサン・フィルベール・ド・グラン・リュー修道院(母修道院はノワールムーティエ修道院)があることで知られる。 地名としてはフィルベール(Philbert)で、聖人の名はフィリベール(Philibert)であることに注意が必要である。 地理大西洋から約40km離れている。歴史的にはブルターニュに属し、伝統的な地方区分ではペイ・ド・レに、歴史的な地方区分ではペイ・ナンテに属する。 ロワール=アトランティック県の気候は温帯に属する海洋性気候である。大河ロワールの河口が近いことと、目立った地形上の起伏がないことに影響された気候である[1]。冬は穏やかで雨が多い(最高気温10℃、最低気温-5℃)。夏も比較的過ごしやすい(最高気温35℃、最低気温17℃)。降雨は希だが非常に集中して降る。年間平均降雨量は820mmであり、一年ごとにまるで前年からかけ離れることがある[2]。降雪は非常に珍しい。 面積62.92平方kmのグラン・リュー湖はほぼ全体がこのコミューンに属している。湖は勾配の少ない地形にあるため水深が浅く、表面は浮き草で覆われている。 由来サン=フィルベール=ド=グラン=リューの名称は、トゥルニュの聖フィリベールに由来する。聖フィリベールはアキテーヌの貴族の出身で、ペイ・ド・レを伝道した人物である。彼はノワールムーティエ修道院の創設者である。町はかつてDéasの名で知られていた。おそらくこの名称はガロ=ローマ時代の名称である[3]。9世紀中にノワールムーティエ修道院の修道士たちがやってきてこの土地に定着する間に、この聖人の名がとられたのだろう。グラン=リューとは、町に近接するグラン・リュー湖よりとられている。 1258年にはSanctus Phelibertus de Grandi Lacu、1265年にはS. Ph. de Grandi Loco、1362年にはSeint Philiberd de Gran Leuとの名で記されている。 歴史ガロ=ローマ時代に起源を持つこの町は、最初はDéasと呼ばれていた。町はマグノボドゥス(Magnobodus)からポワティエ司教アンソアルド(Ansoald)に与えられ、次はノワールムーティエ修道院を支援するトゥルニュの聖フィリベールへと与えられた。コミューンの名は事実上、675年にノワールムーティエ修道院を創設した聖フィリベールにちなんでいる。9世紀にはノワールムーティエ修道院の修道士たちがこの地に定住した。彼らはこの地に新たな修道院(現在のサン・フィルベール・ド・グラン・リュー修道院)をつくった。この修道院は国内でも古くからある修道院の1つで、836年には聖フィリベールの聖遺物も移された。 847年にノルマン人が襲来した際に修道院は略奪され、修道士たちが本堂を再建した。これが現在我々が目にしている建物である。858年に再びノルマン人が襲撃したが、この時には修道士たちは聖遺物を抱えて避難している。修道士たちは11世紀にDéasに戻ったが、ブルゴーニュに避難していた聖遺物の帰還は1937年まで待たねばならなかった。 聖フィリベールの聖遺物は常にトゥルニュにある。聖遺物の灰を含む小さな筒は、ヴァンデのボーヴォワール=シュル=メールに聖フィリベールの像に祝福しに行った修道士アンリによって、Déasの、今も残るサルコファガスにもたらされたものである。 人口統計
参照元:1999年までEHESS[4]、2000年以降INSEE[5][6] 経済サン=フィルベール=ド=グラン=リューはブドウ畑のある土地である。この土地でつくられるミュスカデはミュスカデ・コート・ド・グランリュー(Muscadet-côtes-de-grandlieu)の名で1994年よりAOC登録されている。そしてグロ・プラン・デュ・ペイ・ナンテ(Gros-plant-du-pays-nantais)は2011年までVDQSワインであった。 姉妹都市脚注 |