サムエル・コッキングサムエル・コッキング(Samuel Cocking、1845年〈弘化2年〉3月[1] - 1914年〈大正3年〉2月26日)は、英国出身の横浜外国人居留地に在住した貿易商。 概要各種雑貨類や骨董品、植物などを取り扱う商社「コッキング商会」を経営した。また、江ノ島(現在の神奈川県藤沢市江の島)に別荘を持ち、当時日本最大級といわれた近代的温室をもつ庭園(後の江の島植物園、現在の江の島サムエル・コッキング苑)を造営した。 経歴
コッキング庭園の概要コッキングの庭園は、当時の西欧の回遊式の庭園の様式を持ちながらも、東洋趣味を反映して、特に南洋の植物なども持ち込んで造営されたものだといわれている。現在もクックアローカリアやタイミンチクなどの珍しい植物が現存しており、これらはコッキングが持ち込んだといわれている。 コッキングの庭園の見所は、当時、東洋最大といわれた温室であり、その面積は900平方メートルに及ぶ規模を有していた。基礎部分はレンガ造で、地下には水槽やボイラー室、貯炭庫などが設置されていた。上部構造は木造であったと推定されているが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で壊滅し失なわれた。 下部構造は1949年(昭和24年)の藤沢市による江の島植物園の造営の際に完全に破壊され、地下に埋没したと思われていたが、2002年(平成14年)の江の島植物園再整備工事の際に発見され、大部分が残っていることが判明した。調査の結果、当時の国内の土木遺構としては貴重な資料であることが判明したことから、保存され、現在「江の島コッキング植物園温室遺構」として一般にも公開されている。 余談来日の際、折からの低気圧の影響で嵐に襲われ、避難した相模湾に浮かぶ江の島の斜面緑地の美しさが印象深かったことが、後に江の島に別荘を構えるきっかけになったという説がある。 サムエルの名は「サミュエル」の方が発音としては近いと思われるが、当時の書籍や記録の大半に「サムエル」と表記されていることから、藤沢市等の公的機関でも「サムエル」の表記で統一している。 脚注注釈 出典
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