サックヴィル・タフトン (第7代サネット伯爵)第7代サネット伯爵サックヴィル・タフトン(英語: Sackville Tufton, 7th Earl of Thanet、1688年5月11日 – 1753年12月4日)は、イギリスの貴族、政治家。トーリー党所属。 生涯サックヴィル・タフトン(1697年頃 – 1721年3月30日、第2代サネット伯爵ジョン・タフトンの五男[1])とエリザベス・ウィルブラハム(Elizabeth Wilbraham、ラルフ・ウィルブラハムの娘)の次男(長男ジョンは1687年5月25日に生まれ、夭折した)として、1688年5月11日に生まれた[2]。 1722年イギリス総選挙でトーリー党の一員としてアップルビー選挙区から出馬し、当選を果たした[3]。同じ選挙区で当選した第3代準男爵サー・リチャード・サンドフォードが1723年に死去すると、補欠選挙で初代ヒルズバラ子爵トレヴァー・ヒルを推し、アップルビー選挙区の2議席を手中に収めようとしたが、ヒルズバラ子爵はホイッグ党のジェームズ・ラウザー候補に敗れた[4]。1725年、ジェームズ・ラウザーを後援した第3代ロンズデール子爵ヘンリー・ラウザーとタフトンの間で妥協がなされ、以降1751年にロンズデール子爵が、1753年にタフトンが死去するまで2人が1議員ずつ指名し、アップルビー選挙区で無投票当選が1754年まで続くこととなった[4]。タフトンが議会で投票した記録は1729年の1回だけであり[3]、同年7月30日に伯父トマスが死去すると、サネット伯爵の爵位を継承して[2]庶民院を去った。また、ウェストモーランド州長官の官職も世襲した[2]。 1753年12月4日に死去、息子サックヴィルが爵位を継承した[2]。 人物1753年12月3日に第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイルが死去すると、サネット伯爵は仕立て屋に8時間で喪服を作れるかを質問した[3]。サネット伯爵は義弟にあたるバーリントン伯爵(バーリントン伯爵夫人ドロシーはサネット伯爵夫人の妹)の喪に服したいが、彼自身も12時間ももたないだろうと予想しての質問であり、実際に翌日にあたる12月4日に死去した[3]。 家族1722年6月11日、メアリー・サヴィル(Mary Savile、1700年9月28日 – 1751年7月30日、第2代ハリファックス侯爵ウィリアム・サヴィルの娘)と結婚[2]、2男2女をもうけた[1]。
系譜図サネット伯爵 (初代-第11代) 系譜図
出典
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