コンティ公コンティ公(コンティこう、フランス語: prince de Conti)は、フランス王国の貴族。ブルボン=コンデ家の分家である。 歴史コンティ公の名前はフランス北部、アミアン南西約35キロメートルのコンティに由来する。コンティは1551年にブルボン=コンデ家の初代コンデ公ルイ・ド・ブルボンがエレオノール・ド・ルシー・ド・ロワイエと結婚したことでコンデ公領となっていた[1]。 ルイの三男フランソワ・ド・ブルボンはコンティ侯爵に叙され、後にコンティ公爵に昇格したが、唯一の男子が1610年に死去、フランソワ自身も1614年に死去したことで爵位は断絶した[1]。 1629年、コンティ公の爵位は復活し、コンデ公アンリ2世の次男アルマン・ド・ブルボン(大コンデも弟でもあった)に与えられた。ブルボン家がフランスを統治していた時期、すなわちアンリ4世の治世からルイ=フィリップ1世の治世まで、コンティ公はフランス王国におけるプランス・ドゥ・サンとされた[1]。 コンティ侯爵と公爵の一覧コンティ侯爵
コンティ公爵(第1期)
直系の継承者がいなかったため、コンティ公爵家は1614年に断絶した。 コンティ公爵(第2期)
ルイ・フランソワ2世は嫡出子を残さずに死去したため、コンティ公家は断絶した。 家系図関連項目脚注
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