コンウィ
コンウィ(英: Conwy, [ˈkɒnwi], ウェールズ語: [ˈkɔnʊɨ] ( 音声ファイル), 英語の綴りはConwayとも)はウェールズ北部コンウィ・カウンティ・バラにあり、同名の川の河口のコミュニティ。旧市街は城壁に囲まれ、中世から集積地であった。多数の古建築が残る人気の観光地で、城壁は世界遺産の「グウィネドのエドワード王時代の城砦と城壁(Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd)の構成要素である。 概要13世紀、ウェールズ遠征の拠点としてイングランド王エドワード1世がコンウィ城を築いた。 川の対岸にデガンウィ をのぞむこの町は、その昔、グウィネズの一部で、さらに時代をさかのぼるとカーナーヴォンシャーに属していた。2011年国勢調査によると、観光地として人気がある地域人口はデガンウィとランディドノウ(en)と合算して1万4753人[1]。カウンティ・バラの人口は推定11万6200人(2015年6月30日時点[2])、コンウィに限定すると住民は4065人である(2011年国勢調査[3])。 町の名前「コンウィ」Conwy の由来は、古ウェールズ語の cyn (長=おさ)と gwy (水、流れ)からなり、川も古名を「シンウィ」Cynwy といった[4][5][6][7]。 歴史城砦都市コンウィ城と旧市街を取り巻く城壁はエドワード1世の命令を受け、王がウェールズの貴族(en)征服に乗り出した1283年から1289年頃に築かれた[8]。城壁が完成すると、14世紀にその内側にまず最初に教会群が建った。それ以前からの建造物は城壁の東南側に残る壁と塔の遺構で、大サウェリンとその孫息子の末代公サウェリンの宮殿・宮城(llys)があったと考えられる。岩の斜面に立ち付属の塔にアプスがある点、ウェールズ独得の4つ窓をほどこしてある点を見ると、イングランド人が建てた城壁と容易に識別できる。建造時期は13世紀初頭に始まり、大サウェリンが手がけた御殿(llysoedd)として最も特徴を残している。 城壁に囲まれた旧市街生まれの人には「ジャックドー」Jackdaws というあだ名がある。城壁に巣をかけるカラスの仲間がいるからで、2011年に解散するまでコンウィ旧市街に「ジャックドーの会」という親睦組織があった[9][10]。 コンウィには1841年時点で1358人が暮らしていた[11]。 吊り橋コンウィの景観をなす吊り橋はトーマス・テルフォードの設計により、橋の支柱は城のタレットとデザインをそろえてある。城のすぐ横に橋を架けた1826年以前は、コンウィ川の両岸を渡し船が結んで人貨を運んでいた[12]。現在、橋は歩行者専用で、橋守りの宿舎とともにナショナル・トラストが管理する。 鉄道橋コンウィ鉄道橋(en)は筒状の橋で設計はロバート・スティーブンソン(en)が手がけ、チェスター・ホリヘッド鉄道(en)が走った。最初の筒型構造は1848年に架かり、まもなく第2号が1849年に完成する[13]。現在も北ウェールズ海岸線(en)が利用し、旧市街にある駅 に発着する。市内外をつなぐ近代的な橋は数基あり、自動車道55号線(A55) が川を横切る地下トンネルは、イギリスで最古のチューブ型川底トンネルで、工期は1986年から1991年まで費やした[14]。峠越え をして Dwygyfylchi 方面と Penmaenmawr 方面に至る旧道は、コンウィ山の麓をめぐる。 イギリスでいちばん小さい家岸壁には間口1.8 m、奥行き3.05 m の建物が立ち、イギリスで最小の家としてギネス世界記録に登録された。16世紀以来、住人が絶えることなく代替わりしており、一時は子ども連れの家族が暮らしたこともある。ところが1900年、当時の家主は身長 6-フート (1.8 m) の漁師で名前をロバート・ジョーンズと言い、健康に悪いからと退去を命じられている。まともに立つこともできないほど部屋が狭かったからだが、その後も血縁者が引き継ぎ、少額の料金を取って見学させている。 中世の見張り塔湿地の対岸にある館は Bodysgallen と呼ばれ、中世の塔がある。おそらくコンウィ城の兵士が見張りに立ったものと考えられる[15]。 ギャラリーコンウィの発展を絵画や写真で振り返る。
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外部リンク
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