ゲートボール (バンド)
ゲートボール(Gate Ball、1983年 結成 - 同年 活動停止)は、かつて存在した日本のロックバンドである。 略歴・概要前史近田春夫は、1979年(昭和54年)に近田春夫&ハルヲフォンを解散するが、同時期、ガールズ(同年1月解散)も解散していた。元ハルヲフォンの高木英一は、元ガールズのイリア(奥野敦子)と新バンドを結成するが[1]、近田も奥野に声をかけ、同年8月に近田春夫&BEEFを結成する[2]。キングレコードからの近田のソロシングル『ああ、レディハリケーン』をリリースしたあと、近田は日本コロムビアに移籍し、BEEFはジューシィ・フルーツへと発展的に解消し、1980年(昭和55年)6月1日、『ジェニーはご機嫌ななめ』で日本コロムビアからデビューした[2]。 一方、元ガールズのリタ(野元貴子)は、1980年、新バンドピンナップスを結成、近田が同バンドのデビューに関わり、同年、デビューシングル『あなたにオーバーヒート』をプロデュース、Invitation(ビクター音楽産業)からデビューした[3]。翌1981年(昭和56年)のファーストアルバム『ピンナップス』は、元ハルヲフォンの高木がプロデュース、同年にセカンドシングル『抱きしめてBABY!』、1982年(昭和57年)にセカンドアルバム『抱きしめて!!』をプロデュースした[3]。 1980年からの近田は、前述の通り日本コロムビアと契約しており、BEEFがジューシィ・フルーツとして人気を得て、バックバンドとしての稼働が不可能になり、1981年初頭、近田は人種熱をとりこみ、近田春夫&ビブラトーンズを結成していた[3]。 結成と活動1982年には、近田がデビュー以来プロデュースを手がけていたピンナップスが解散し、ともに関わっていた高木とリタ(野元)と3人で、1983年(昭和58年)に結成した新バンドが「ゲートボール」である。[3][4]。 ゲートボールは、1983年に徳間ジャパン(現徳間ジャパンコミュニケーションズ)から1枚のマキシシングルレコードと1本のカセットテープベースのアルバムをリリースし[3][5]、1984年にはカセットブックTRA No. 5にてアルバム未収録の4曲を発表した。すべて既成曲のカヴァーである。ハルヲフォン時代、1978年(昭和53年)に発表したアルバム『電撃的東京』や、1976年(昭和51年)にレコーディングされ、のちに2008年(平成20年)にCD発売された『リメンバー・グループ・サウンズ』と同様の近田のお家芸で、パーシー・フェイス、デヴィッド・ボウイ、ザ・ハプニングス、ビリー・ヴォーン、ポール・モーリア、ザ・キンクス、トニー・ハッチ、坂本九、クラフトワーク、パット・ブーン、フランク・シナトラの曲をアンビエント化した[5]。 上記の音源を残し、ゲートボールは活動を停止した。シングルを包含するアルバムは、1991年(平成3年)4月25日、徳間ジャパンコミュニケーションズからCDで再発売されたのち長らく廃盤であった[5]が、2019年(令和元年)6月26日にタワーレコード限定で2019年リマスタリングCDが再発された。 ディスコグラフィシングル
アルバム
オムニバス参加
脚注関連項目
外部リンク |