ケンプスランディングの戦い(英: Battle of Kemp's Landing、またはケンプスビルの小競り合い、英: Skirmish of Kempsville)は、アメリカ独立戦争中の1775年11月15日に起きた小戦闘である。バージニア植民地プリンセスアン郡の民兵中隊が、近くのグレートブリッジで上陸した植民地最後の総督第4代ダンモア伯ジョン・マーレイが指揮するイギリス軍に対抗するために、ケンプスランディングに結集した。ダンモアはノースカロライナ植民地の愛国者民兵隊が到着するという噂について調査していたが、それが嘘だと分かったので、待ち伏せしようとしていたプリンセスアン郡の民兵隊に軍勢を向かわせてこれを破り、潰走させた。
バージニア植民地の安全委員会はウィリアムズバーグで部隊の編成を始め、ダンモアの動きに対してはノーフォークに部隊を派遣することにした。部隊は立ち上げられ、大陸軍のウィリアム・ウッドフォード大佐が率いたが、装備や物資が不足していたために、11月7日までウィリアムズバーグを離れなかった。この部隊はダンモアがジェームズ川の哨戒のために派遣していたイギリス海軍艦船のために、1週間もジェームズ川を渡れなかった[10]。ダンモアはイギリス海軍艦船から指揮を執っていたが、11月14日にグレートブリッジ近くで、「ノーフォークの志願兵22名と共に109名の兵卒」部隊と共に上陸した。これはノースカロライナ植民地から愛国者民兵隊が到着したという噂について調査するためだった[1][8]。その上陸に対抗して、プリンセスアン郡の民兵が招集されることになった[1]。地元の民兵指揮官であるジョセフ・ハッチングスと著名土地所有者であるアンソニー・ローソンが発した呼びかけに約170名が呼応した。彼等はグレートブリッジから約10マイル (16 km) のケンプスランディングに結集し、グレートブリッジからの道路に沿って待ち伏せの態勢を採った[1]。
Wilson, David K (2005). The Southern Strategy: Britain's conquest of South Carolina and Georgia, 1775–1780. Columbia, SC: University of South Carolina Press. ISBN1-57003-573-3
Yarsinske, Amy Waters (2002). Virginia Beach: A History of Virginia's Golden Shore. Charleston, SC: Arcadia. ISBN978-0-7385-2402-3. OCLC183259987