グエン・ファン・ロン
グエン・ファン・ロン(阮 攀龍、ベトナム語:Nguyễn Phan Long / 阮攀龍, 1888年 - 1960年7月16日)は、ベトナムの政治家、ジャーナリスト。ベトナム国第2代首相、外務大臣を務めた。 経歴1888年4月3日にフランス領インドシナ、コーチシナ、サイゴンにて誕生する[1]。ロンはハノイに送られ、リセ・アルベール・サローで教育を受けた。その後サイゴンに戻り、高校教師兼ジャーナリストとして働く。1917年には『ラ・トリビューン・インディジェーヌ』紙で働き、1920年には新聞『レチョ・アンナミテ』を創刊し、アンドレ・マルローの友人であったベトナム民族主義者ウジェーヌ・ドジャン・ド・ラ・バティと働いた[2]。ジャーナリスト時代には、心霊術やベトナムの宗教カオダイ教について執筆していた。1920年代から1930年代にかけてロンは、ブイ・クアン・チューが率いて1923年に設立された民族主義政党「インドシナ立憲党」の副党首を務め、植民地評議員に選出される。ロンは1936年、カオダイの統一運動を試みた「カオダイ宗派統一会議」の議長に選出されたが、結局失敗に終わった。1945年以降は外務大臣、内務大臣、『レチョ・デュ・ベトナム』の編集長を歴任。ロンはカオダイ教の熱心な信者で、流暢なフランス語を話し、チャン・ティ・グエンと結婚している。1960年7月16日、サイゴンで71歳の生涯を閉じた[3]。 脚注
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