グウェン・ガスリー(Gwendolyn Guthrie) (1950年7月9日~1999年2月3日)[2]は、アメリカの歌手・作曲/詞家・ピアニストである[1]。
アレサ・フランクリン(1942年~2018年)やビリー・ジョエル(1949年~)、スティーヴィー・ワンダー(1950年~)、ピーター・トッシュ(1944年~1987年)、マドンナ(1958年~)等のバックコーラスを務めた。
また、ベン・E・キング(1938年~2015年)やアンジェラ・ボフィル(英語版)(1954年~)、ロバータ・フラック(1937年~)等に楽曲提供した[3]。
ガスリーは1986年の「Ain't Nothin' Goin' on But the Rent」と「遙かなる影」( (They Long to Be) Close to You)のカバーで有名になった[4]。
経歴
ガスリーは1950年にアメリカ合衆国ニュージャージー州ニューアークで生まれた[1]。
学校ではクラシック音楽を学び、8歳の時に父からピアノを教わり始めた[5]。
1970年代前半には小学校教員として働きながら、Ebonettes[1]やthe Matchmakers等のボーカルグループに参加していた。
1974年にアレサ・フランクリンの「I'm in Love」にバックコーラスで参加した[1]。
ガスリーは友人のValerie Simpsonと共にCMでよく歌うようになった。
当時の恋人だったHaras Fyre(トロンボーン奏者/ベーシスト)の伝手で、ベン・E・キングの「Supernatural Thing」と「Do It In the Name of Love」(1975年)を楽曲提供した[2]。
また、アンジェラ・ボフィルに「This Time I'll Be Sweeter」を提供し、後に多くの歌手がカバーした。
シスター・スレッジ(英語版)の1975年のアルバムに7曲提供し[2]、ロバータ・フラックに「God Don't Like Ugly」を提供した[2]。
1982年にはマドンナのデビューアルバムでバックコーラスを務めた。
スライ&ロビーの影響でダンス音楽に傾倒するようになり、名演を残した事で「パラダイス・ガレージの第一婦人」と呼ばれる。
1983年には、所属DJであるラリー・レヴァン(1954年~1992年)の協力で、最初のヒット曲であるバハマの首都ナッソーのコンパス・ポイント・スタジオで「Padlock」を録音した。
この曲はクラブやラジオで2年後にヒットした。
1986年の「Ain't Nothin' Goin' on But the Rent」が彼女の最も有名な曲であろう[2]。
この曲は後にダンスやヒップホップの音源に使われ、1998年にはフォクシー・ブラウン(英語版)(1978年~)とマイア(1979年~)が、更にユタ・セインツ(英語版)がカバーした。
エディ・マーフィ(1961年~)は彼のお笑い番組で歌詞を引用している。
1986年に「遥かなる影」のカバーもヒットし、全英シングルチャートで25位を記録した[4]。
1988年には未だ禁忌だったAIDSについて「Can't Love You Tonight」で歌った[6]。
ガスリーはゲイ・コミュニティやAIDS患者の提携者だった。
1995年にはM Peopleが「Padlock」をカバーした。
^ abKing, Aliya S. (February 20, 1999). “Gwen Guthrie, 48, Dies”. Billboard (Nielsen Business Media, Inc) 111 (8): 8. ISSN0006-2510.
^Smith, Raymond A. (27 August 1998). Encyclopedia of AIDS: A Social, Political, Cultural, and Scientific Record of the HIV Epidemic. Routledge. p. 539. ISBN9781135457549