クール&ザ・ギャング
クール&ザ・ギャング[2](Kool & the Gang)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のファンク・バンドである。50年以上のキャリアを誇る、有名ソウル・グループの一組。 歴史1964年、ニュージャージー州にて、ベース奏者ロバート・"クール"・ベルと、サクソフォーン奏者ロナルド・ベルのベル兄弟(ムスリム・ネームの姓はベイヤン)を中心に結成。1969年に「クール&ザ・ギャング」と改名しシングル・デビュー。 結成当初はリード・ボーカルはおらず、ファンキーなインスト曲を中心に演奏していた。デビュー後しばらくはヒットに恵まれなかったが、1973年にシングル「ファンキー・スタッフ」[3]が、ビルボードのHot 100で29位となり初のトップ50入りを果たしブレイク。1974年、「ジャングル・ブギー」[4]を発表、22週に渡りチャート圏内に入り最高4位まで上がる[4]初のトップ10ヒットとなった。続く「ハリウッド・スインギン」(Hot 100 6位)もヒットとなる[5]。彼らはこれらのヒットを契機に、人気ファンク・バンドとなっていった。 1977年には大ヒット映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックに楽曲「オープン・セサミ」が収録された。1979年にボーカリストのジェームス・"JT"・テイラーが加入し、デオダートのプロデュースによる1980年のシングル「レディーズ・ナイト」((Hot 100 最高8位、Black 3週連続1位)や、「トゥー・ホット」(Hot 100 最高5位、Black3位)など全米ポップ・チャートでもヒットを連発した。 1980年暮れに彼ら最大のヒットとなるシングル「セレブレーション」(Hot 100 2週連続1位、1981年年間総合6位)を発表。1981年のソウル・チャートでは、6週連続1位を獲得する。この曲は、アメリカのイベントやパーティーなどでよく使用されてきた。その後、1981年から1982年にかけ「テイク・マイ・ハート」(Hot 100 17位、Black 1位)、「ゲット・ダウン・オン・イット」(Hot 100 10位、Black 4位)、「ステッピン・アウト」、「Big Fun」(Hot 100 21位、Black 6位)とヒットを出した。1983年には、「ジョアンナ」(Hot 100 2位、Black 1位、Adult Contemporary 2位)を発表。以降、1984年に「トゥナイト」(Hot100 13位、Black 7位)。1985年に「フレッシュ」(Hot 100 9位、Black 1位、Dance 1位、Adult Contemporary 5位)、「ミスレッド」(Hot100 10位、Black 3位、Dance 9位)、「チェリッシュ」(Hot 100 2位、Black 1位、Adult Contemporary 1位)とヒットが続いた。 1986年から1987年にかけては「ヴィクトリー」(Hot 100 10位、Black 2位)、「Stone Love」(Hot 100 10位、Black 4位)がトップ10入りしたが、1988年にJTテイラーが脱退。その後、元ダズ・バンドのスキップ・マーティンがリード・ボーカルとして加入した。しかしグループは、1980年代末以降、ヒット曲に恵まれなくなった。ソロとなったJTテイラーは、レジーナ・ベルとのデュエットなどを発表するが大きなヒットには至らず、1996年にグループへ戻っている。グループは、トップ10入りシングル12曲の記録を残している。 2024年4月21日、米国・Rock & Roll Hall Of Fameより、『2024年度ロックの殿堂 パフォーマー部門』での殿堂入りが発表された[6]。 音楽性初期はリード・ボーカルがおらず、ファンクを中心としたインストゥルメンタル・バンドだった。さらにサウンドを強化し、1973年から1974年頃にファンク・バンドとして黄金期を迎える。1970年代末にJTテイラーがリード・ボーカルとして加入して以降は、AORや、ソフトなダンス曲、ポップ寄りな曲が中心になり、歌謡ディスコ的なバンドになった。 彼等の楽曲には、ファンク系と、ディスコ、バラード系などがある。
ジャミロクワイとのコラボ1974年に大ヒットした楽曲「ハリウッド・スウィンギング」の歌詞は、高級車や美女の街であるハリウッドにてショービジネスの世界で成功してスターになり気分よくかっ飛ばす(スウィンギング)というような表現があり、これは1996年の楽曲「ヴァーチャル・インサニティ」などのヒットによって成功していたジャミロクワイのジェイ・ケイがフェラーリやランボルギーニなどの高級スポーツカーを30台以上(1997年当時)保有していた状況をよく表していた。そのため、ジャミロクワイによって「ハリウッド・スウィンギング」がライブで演奏され、日本ではミニディスクの企画盤として1997年に発売された[7]。 2004年、改めてクール&ザ・ギャングとジャミロクワイが共同で「ハリウッド・スウィンギング」を収録した[8]。このコラボレーション・バージョンはクール&ザ・ギャングの2004年のアルバム『ザ・ミュージック・オデッセイ』に収められて発売され、その後、2005年にシングルとしても発売された。 オリジナル・メンバー在籍中
死去
ディスコグラフィスタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
シングル
関連人物
関連項目脚注
外部リンク |