クラレンス・カーター
クラレンス・カーター(Clarence Carter、1936年1月14日 - )は、アメリカ合衆国のソウル歌手、シンガーソングライター、ギタリスト。アフリカ系アメリカ人である。「パッチズ」(1970年)などアラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオで録音した一連のヒット曲で知られる。 来歴アラバマ州モンゴメリー出身。生まれながらにして盲目であった[1]。同州タラデガ市にある盲学校(当時の校名は「Alabama School for the Blind」)に通い、1960年8月にアラバマ州立大学を卒業、音楽の学位をとった。 1961年、友人のカルヴィン・スコットとグループ「Calvin and Clarence」を結成。同年6月にデビュー・シングル「I Wanna Dance (But I Don't Know How)」を発表した[2]。その後レコード会社を移り、「The C & C Boys」と名前を変えて活動を続けるもヒットには恵まれなかった。1965年、アトランティック・レコード傘下のレーベル、アトコ・レコードから「Clarence & Calvin」名義でシングル「Step By Step」を発表するが[3]これもチャート入りを逃した。 1966年から2人はアラバマ州バーミングハムのクラブで主に活動を行った。しかしスコットが自動車事故を起こし、その怪我が重かったことからグループは解消を余儀なくされた。同年11月、リック・ホールのフェイム・レコードから「I Stayed Away Too Long / Tell Daddy」を発表しソロ・デビューを果たした[4]。なおこの頃、カーターが作詞作曲した「Tell Mama」がエタ・ジェイムスに提供され、ジェイムスが1967年に発表した同曲はビルボード・Hot 100で23位、R&Bチャートで10位を記録し大きな成功を収めた。カーターのソロ・デビュー・シングルのB面の「Tell Daddy」は「Tell Mama」と対になる曲で、こちらもR&Bチャートで35位を記録した。 1967年の終わりにアトランティック・レコードに移籍。以後1973年までリック・ホールのプロデュースの下、マッスル・ショールズのフェイム・スタジオで作品の録音は行われた。1968年4月、マーカス・ダニエルとウィルバー・テレルとウィリアム・アームストロングの3人が書いた「Slip Away」を発表[5]。ビルボード・Hot 100で6位、R&Bチャートで3位を記録した。 1970年7月、デトロイトの4人組のグループ、チェアマン・オブ・ザ・ボードの「パッチズ」をカバー[6]。カーターにとって最大のヒット曲となり、1971年の第13回グラミー賞の最優秀R&B楽曲賞を受賞した。 1970年にキャンディ・ステイトンと結婚。息子を一人もうけたのち、1973年に離婚した。 その他、著名な作品として、「バック・ドア・サンタ」、「アイ・キャント・リーヴ・ユア・ラヴ・アローン」(R&Bチャート6位)、「Too Weak To Fight」(同3位)、「The Feeling Is Right」(同9位)などがある。 ディスコグラフィアルバム
脚注
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