クィントゥス・マルキウス・トレムルス
クィントゥス・マルキウス・トレムルス(ラテン語: Quintus Marcius Tremulus、生没年不詳)は紀元前4世紀から紀元前3世紀の共和政ローマのプレブス(平民)出身の政治家・軍人[1]。執政官(コンスル)を二度務めた。 経歴紀元前306年、クィントゥス・マルキウスはプブリウス・コルネリウス・アルウィナと共に執政官に就任した[2]。 当時ヘルニキ族はアナグニア(現在のアナーニ)を中心に、アレトリウム(現在のアラトリ)、カピトゥルム(現在のピーリオ)、ウェルラエ(現在のヴェーロリ)、フェレンティヌム(現在のフェレンティーノ)といった都市が連合体(Confoederatio Hernica)を結び、宗教的・政治的な会合を開いていた。紀元前306年、ローマとヘルニキの同盟条約に違反したとの名目で、クィントゥス・マルキウスはアナグニアを攻撃してヘルニキ連合に容易に勝利し、連合を解体した。 また、ヘルニキから戻る途中、サムニウムと戦っていたプブリウス・コルネリウスを支援した。クィントゥス・マルキウスがサムニウムに到着すると、サムニウムは奇襲をかけてきたが、プブリウス・コルネリウスが救援に到着、両者は連合してサムニウムに勝利した。プブリウス・コルネリウスはそのままサムニウムに留まったが、クィントゥス・マルキウスはローマに戻り、ヘルニキとアナグニアに対する勝利を祝して凱旋式を実施した。さらにカストルとポルックス神殿の前で、エクィテス(騎士階級)の地位が与えられた[2]。 紀元前288年には、同じプブリウス・コルネリウスとのコンビで、二度目の執政官に就任している。 参考資料
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