ギー3世・ド・シャティヨン(フランス語:Guy III de Châtillon-Saint-Pol, 1226年 - 1289年3月12日)は、サン=ポル伯(在位:1248年 - 1289年)。サン=ポル伯ユーグ5世とブロワ女伯マリー・ダヴェーヌの息子[1]。
生涯
兄ジャン1世は母方のブロワ伯位を継承し、ギーは1248年父が死去した後に父方のサン=ポル伯位を継承した。
1255年1月16日、ギーはアルトワ伯ロベール1世の未亡人マティルド・ド・ブラバンと結婚した[2]。マティルドはブラバント公アンリ2世の娘で、この結婚以降、ギーはゲルデルンに対し義兄アンリ3世の支援者となった。2人の間に以下の子女が生まれた。
ギーは第8回十字軍および失敗に終わったアラゴン十字軍に参加した。
脚注
- ^ Theodore Evergates, The Aristocracy in the County of Champagne, 1100-1300, (University of Pennsylvania Press, 2007), 254.
- ^ "Maude of Brabant (1224–1288)." Women in World History: A Biographical Encyclopedia. 2002. HighBeam Research. (October 14, 2012). http://www.highbeam.com/doc/1G2-2591306344.html Archived 2016-03-08 at the Wayback Machine.
- ^ a b M. A. Pollock, Scotland, England and France After the Loss of Normandy, 1204-1296, (The Boydell Press, 2015), 184.