キングジェームズ
キングジェームズ (King James) はアメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬。1900年代後半のアメリカ競馬界を席巻し、のちに種牡馬としてヒムヤー系を後世に遺した。 経歴1905年にジョン・エドワード・マッデンが生産した競走馬で、父はケンタッキーダービー優勝馬プローディトで、母アンサイトリーと同じく祖先にヒムヤーを持つ馬であった。ストライドが非常に不格好であったらしく、これによって競走能力が大きく削がれていたとされている。 マッデン本人によって調教され、1907年に競走馬としてデビューした。この年に同じくデビューした馬にコリン、ケルト、フェアプレイがおり、キングジェームズはこの後しばらくこの面々と対戦を重ねることになる。2歳時はこれらに混じってトレモントステークスで勝利しているが、12戦全勝のコリンに比べると大きな戦果ではなかった。 1908年の3歳シーズンもやはりコリンは大きな壁となり、ウィザーズステークス・ベルモントステークスではともに3着に敗れている。さらにコリンが故障によって離脱した後もケルトやフェアプレイ、バロットらが前に立ち塞がり、ローレンスリアライゼーションステークスやブルックリンダービー、サバーバンハンデキャップなどの主要競走でいつも2着・3着に終わっていた。結果、3歳時のステークス勝鞍はアニュアルチャンピオンステークスのみであった。 しかし1909年の4歳シーズンに入ると、キングジェームズは前年とは逆に多くの勝鞍を挙げるようになった。シーズン前、キングジェームズはサミュエル・C・ヒルドレスによって購入され、所有者および調教師が変更された。このヒルドレス所有のもと、キングジェームズはカリフォルニアから始動し、現地で3勝を挙げた後に東海岸に戻ってきた。すでにかつての天敵らはおらず[1]、ブルックリンハンデキャップやメトロポリタンハンデキャップに勝って猛威をふるった。さらにはカナダのトロントハンデキャップなどいくつものハンデキャップ競走で優勝を重ね、12戦して10勝、2着2回というほぼ完璧な戦績を残した。後年、キングジェームズはこの年の戦績からアメリカ最優秀ハンデキャップ牡馬に評価されている。 5歳時はトロントハンデキャップの連覇や、シープスヘッドベイハンデキャップ勝ちなどを収めている。6歳以降になると目立った勝鞍もなくなったが、堅実に走り続け、7歳になった1912年に引退、種牡馬入りした。 引退後引退後は、ヘンリー・T・オックスナードの所有するブルーリッジファームに繋養された。 生涯で158頭の産駒を出し、うち10頭がステークス勝ち馬になっている。代表的な産駒に、カナダを主戦場としたマイディア(1917年生・牝馬)がいる。同馬はトロントオータムカップなどに優勝し、その後も7歳まで95戦をタフにこなして89,974ドルを稼ぎあげた。また、1913年生のスパーはウィザーズステークスやトラヴァーズステークスに優勝した。スパーは種牡馬としてもスティングなどのステークス勝ち馬を輩出した。 主な産駒
母父としての主な産駒
評価主な勝鞍
年度代表馬
血統表
備考外部リンク
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