キャッスル・クリントン
キャッスル・クリントン (Castle Clinton) またはフォート・クリントン (Fort Clinton) は、ニューヨーク市マンハッタン島の南端にあるバッテリー・パークに位置している砂岩の要塞である。1808年、フォート・アムステルダムに代わる防衛拠点として建設された。 1821年にアメリカ陸軍が退去した後は、劇場、ビアガーデン、展示場などとして利用され、キャッスル・ガーデン (Castle Garden) と呼ばれた。移民の受け入れ施設として重要な役割を果たしていた時期もあった。1855年から1890年の間、ニューヨーク港に到着した800万人以上の移民がここからアメリカに上陸した。エリス島に移民局が移転した後は、水族館に改造された。そして今日ではアメリカ合衆国ナショナル・モニュメントとして保護されている。 歴史現在、クリントン城は約400年前のニューアムステルダムの時代にフォート・アムステルダムが建っていた場所からおよそ2ブロック西に建っている。 クリントン城の建設は1808年に始まり1811年に完成した。この要塞はウエスト・バッテリー (West Battery) と呼ばれ、時にサウス・ウエスト・バッテリー (South-west Battery) とも呼ばれた。建築家のJohn McComb Jr.とJonathan Williamsによって設計され、バッテリーパークが埋め立てられていなかった当時はマンハッタン島南岸の少し沖に作られた人工島であった。 ウエスト・バッテリーはイースト・バッテリー (East Battery) と呼ばれたガバナーズ島のウィリアムス城 (en) の機能を補完することが目的であった。建設されたのは緊張が高まっていた米英戦争の直前であり、イギリス軍の侵攻に備えて築かれたが、実際にこの砦が戦争活動に利用されることはなかった。この後、バッテリー・パークの埋め立て拡張が行われ、この砦はマンハッタン島の本島に組み入れられた。 アメリカ合衆国国立公園局管轄下の他のすべての歴史地区と同様に、この砦はキャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメントとして1966年10月15日にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。 名前と用途の変遷
キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメントキャッスル・ガーデンは1946年8月12日にアメリカ合衆国ナショナル・モニュメントに指定されたが、ニューヨーク州知事 (トマス・E・デューイ) と立法者が連邦政府にこの資産を正式に譲渡する1950年7月18日までこの法律は効力を持たなかった。1970年には大きな改修が行われた。現在はアメリカ合衆国国立公園局の監督下におかれ、自由の女神とエリス島へ向かうフェリーの出発点となっている。外観は建設当初により近づけるように改修され博物館を設置し、本来のキャッスル・クリントンという名前に戻された。 著名なキャッスル・ガーデンから移民
キャッスル・ガーデンに関する文献
フィクションにおけるキャッスル・ガーデン/キャッスル・クリントン
音楽におけるキャッスル・ガーデン/キャッスル・クリントン
脚注
外部リンクウィキメディア・コモンズには、キャッスル・クリントンに関するカテゴリがあります。
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