カール3世ヴィルヘルム (バーデン=ドゥルラハ辺境伯)
カール3世ヴィルヘルム(Karl III. Wilhelm、1679年1月18日 - 1738年5月12日)は、神聖ローマ帝国のバーデン=ドゥルラハ辺境伯(在位:1709年 - 1738年)。1715年に宮殿を現在のカールスルーエ市に移した。また、行政の確立に努め、後を継いだ孫のカール・フリードリヒによるバーデン繁栄の基礎を築いた。 生涯バーデン=ドゥルラハ辺境伯フリードリヒ7世とホルシュタイン=ゴットルプ家のアウグスタ・マリアの次男。長男が生後1ヶ月で夭折したため、世子として育つ。スペイン継承戦争に巻き込まれる等で、何回か戦いに参加している。 ドゥルラハにある居城は、1689年に大同盟戦争で焼かれた後、フリードリヒ7世によって再建に着手されたが、費用の面から1703年に工事が停止されたままになっていた。カール3世ヴィルヘルムは、数キロ西の森に移すことに決め、1715年6月17日に宮殿の礎石を設置した。これが、ユニークな扇状道路を有し、バロック都市として有名なカールスルーエ市の誕生である。市の中心にあるマルクト広場のピラミッドは、この都市を建設したカール3世のお墓である。 家族1697年、ヴュルテンベルク公ヴィルヘルム・ルートヴィヒの娘マグダレーナ・ヴィルヘルミーネ(1677年 - 1742年)と結婚、3人の子を儲けた。
参考文献
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