カーティス・ロバーツカーティス・ロバーツ(Kurtis Roberts、1978年11月17日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州ターロック出身のオートバイレーサーである。AMAスーパーバイクやロードレース世界選手権で活躍した。父親は3年連続500ccクラスワールドチャンピオンになったケニー・ロバーツであり、2000年の500ccクラスワールドチャンピオンであるケニー・ロバーツ・ジュニアは実兄。 AMA1998年、カーティスは実力を認められてホンダのサテライト・チームであるエリオン・ホンダに加わり、AMA250ccクラスを戦った。この年は3勝を挙げて250ccクラスランキング2位を獲得し[1]、600ccスーパースポーツレースにも数戦出場した。 1999年と2000年にはフォーミュラ・エクストリームのタイトルを獲得。2000年は同時に600ccスーパースポーツのタイトルも獲っている。[1] 2001年は名門アメリカ・ホンダに移籍してAMAスーパーバイクシリーズに参戦、3度表彰台に立つ活躍を見せる[1]。2002年は怪我のために一年間を棒に振ったが、翌2003年にはスーパーバイク初勝利を挙げてランキング3位を獲得した[2]。 2004年にMotoGPを戦った後、2005年にはエリオン・ホンダに戻ってフォーミュラ・エクストリームを戦い、初戦のデイトナ200で2位に入る[3]もののその後は目立った成績を残せなかった[4]。 世界選手権カーティスの世界選手権デビューは1997年のWGP250ccクラスである。 2004年には父親であるケニー・ロバーツ率いるプロトン・チームKRでMotoGPクラスに参戦したが、マシンの戦闘力の問題もあってシーズンを通して1ポイントを獲得するのがやっとであった。 2006年はチーム・ペデルチーニからドゥカティでスーパーバイク世界選手権に参戦[5]。 2007年には元AMAスーパーバイクチャンピオンのダグ・チャンドラーとともにチームを結成する計画を立てたが断念[6]、再び父親のMotoGPチームに戻ることになった。マシンの戦闘力不足に業を煮やして参戦を休止した実兄のケニー・ロバーツ・ジュニア[7]と入れ替わる形でシーズン途中から参戦したカーティスは、3戦連続を含む5戦でポイント圏内でフィニッシュした[8]。 戦績ロードレース世界選手権
脚注
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