カロリーネが晩年を過ごしたクナウトハイン城館のリトグラフ
カロリーネ・フォン・ベルレプシュ (Karoline von Berlepsch , 1820年 1月9日 バート・ヘルスフェルト - 1877年 2月21日 ライプツィヒ )は、ドイツのヘッセン選帝侯ヴィルヘルム2世 の3番目の妻で、貴賤婚 配偶者。ベルゲン伯爵夫人(Gräfin von Bergen)。
ルートヴィヒ・ヘルマン・フォン・ベルレプシュとメルジーネ・フォン・クルーゼの間の娘で、フランクフルト・アム・マイン で育つ。
選帝侯は1830年の革命騒ぎで世子フリードリヒ・ヴィルヘルム に実権を委譲し、フランクフルト市へ移住した。1843年2月、選帝侯の2番目の妻で貴賤婚配偶者のライヒェンバッハ=レッソニッツ伯爵夫人エミーリエ が死ぬと、選帝侯は43歳も年下のカロリーネを次の妻に選んだ。2人は1843年8月28日ハーナウ 郊外の温泉地ヴィルヘルムスバート (ドイツ語版 ) で結婚式を挙げた。ヴィルヘルム2世は1844年カロリーネをヘッセン侯国貴族のベルゲン (ドイツ語版 ) 男爵夫人に叙爵し、さらに1846年オーストリア政府に働きかけて妻が同国貴族のベルゲン伯爵夫人に叙爵されるよう取り計らった。
選帝侯とは1847年に死別。1851年、外交官のカール・アドルフ・フォン・ホーエンタール伯爵(1811年 - 1875年)と再婚し、間に2人の息子をもうけた[ 1] [ 2] 。夫はザクセン王国 のバイエルン、フランス、プロイセン駐在大使を歴任した[ 3] 。晩年は夫の家族が所有するライプツィヒ郊外のクナウトハイン (ドイツ語版 ) 城館で暮らした[ 4] 。
参考文献
Michel Huberty: L’Allemagne dynastique: Les 15 familles qui ont fait l’empire . Bd. 1: Hesse – Reuss – Saxe. Le Perreux-sur-Marne 1976, ISBN 2-901138-01-2
引用
^ Berwinkel, Holger (2012) (ドイツ語). Die Außenpolitik der deutschen Länder im Kaiserreich: Geschichte, Akteure und archivische Überlieferung (1871-1918). Beiträge des wissenschaftlichen Kolloquiums zum 90. Gründungstag des Politischen Archivs des Auswärtigen Amts am 3. August 2010 . Oldenbourg Verlag. p. 65. ISBN 978-3-486-71637-5 . https://books.google.com/books?id=O_FmNa6hTOwC&pg=PA65 20 May 2020 閲覧。
^ Schwabe, Klaus (2019) (ドイツ語). Die Regierungen der deutschen Mittel- und Kleinstaaten 1815–1933 . Walter de Gruyter GmbH & Co KG. p. 359. ISBN 978-3-486-81774-4 . https://books.google.com/books?id=jGaEDwAAQBAJ&pg=PA359 20 May 2020 閲覧。
^ Mennell, Arthur (1889) (ドイツ語). Goldene Chronik der Wettiner . Literarische Gesellschaft. http://digital.ub.uni-duesseldorf.de/ihd/content/pageview/8168153 11 July 2022 閲覧。
^ Michel Huberty: L' Allemagne dynastique : Les 15 familles qui ont fait l'empire , vol. 1: Hesse - Reuss - Saxe , Le Perreux-sur-Marne, 1976, ISBN 2-901138-01-2