カルロ・ピッターラ(Carlo Pittara、1835年6月6日 - 1891年10月25日)はイタリアの画家である。トリノ県のリヴァーラなどの風景を描いたリヴァーラ派の中心的な画家であった。
略歴
トリノで生まれた。トリノの美術学校(Accademia Albertina)で学んだ後、風景画家のジュゼッペ・カミノ(Giuseppe Camino)に学んだ。スイスのジュネーブに移り、動物画が得意なシャルル・ウンベール(Charles Humbert:1813 - 1881)に学び、ジュネーブの風景画家、版画家のギュスターヴ・キャスタン(Gustave Castan:1823 - 1892) とも知り合った[1]。1858年から1860年の間はパリに滞在し、ジャン=バティスト・カミーユ・コローやシャルル・ジャックと交流し、バルビゾン派の画家の作品に感銘を受けた[2]。
その後、ローマに3年間滞在し、その後、トリノに戻り、夏の間はトリノに近い高地の村、リヴァーラなどの風景を描く画家のグループ「リヴァーラ派」のリーダー的役割を果たしたとされる。「リヴァーラ派」の画家にはヴィットーレ・アヴォンド(Vittorio Avondo:1836–1910) やフェデリコ・パストリス(Federigo Pastoris:1837–1888)らがいた。「リヴァーラ派」におけるピッターラの位置づけについては、ピッターラの没後、マッキア派を代表する画家のテレマコ・シニョリーニは、別のメンバーのエルネスト・レイパー(Ernesto Rayper:1840–1873) の役割を高く評価する評論を行っていた[1]。キャリアの最後の10年間は冬はパリで活動し、印象派の影響も見られるようになった。
リヴァーラで亡くなった。
作品
脚注
- ^ a b Gian Giorgio Massara, Carlo Pittara, Rivaraonline, novembre 1989.
- ^ Museo Civico Giovanni Fattori, Aria di Parigi nella pittura italiana del secondo Ottocento, a cura di Giuliano Mateucci, Umberto Allemandi, 1998, p. 169.
参考文献
- Silvestra Bietoletti e Michele Dantini, Carlo Pittara, in L'Ottocento italiano: la storia, gli artisti, le opere, Giunti Editore, 2002, pp. 250-251. (fonte)
- Franz Paludetto e Marziano Bernardi, Paesaggi. La Scuola di Rivara: Carlo Pittara..., Franz Paludetto, 1991.
- Museo Civico Giovanni Fattori, Aria di Parigi nella pittura italiana del secondo Ottocento, a cura di Giuliano Mateucci, Umberto Allemandi, 1998, p. 169.
- Luigi Mallè, La pittura dell'Ottocento Piemontese, Torino, Impronta, 1976.
- Francesco Santaniello, Carlo Pittara, Dizionario biografico degli Italiani, vol. 84, Roma, Istituto dell'Enciclopedia italiana, 2015.