カルビーポテトチップス
カルビーポテトチップスは、カルビーが製造するポテトチップスのブランド。 カルビーのトップブランドで、1975年うすしお味・1976年のりしお・1978年コンソメパンチと発売、以降様々なフレーバー・サブブランドを立ち上げており、2019年時点で日本のポテトチップス市場の7割を占める[1][2]。商標登録は、うすしお味第4464004号、のりしお第4464005号、コンソメパンチ第4464006号、ほか[注 1]。 日本のスナック菓子の代表的存在[3][4]。1964年発売のかっぱえびせん、前身が1988年発売のフルグラ、1995年発売のじゃがりこ、2006年発売のJagabeeとともに、カルビーのメガヒット商品の一つ[5]。 なお日本初のポテトチップスは濱田音四郎の「フラ印」とされ、日本で初めて量産化したのが湖池屋[6]であり、カルビーは日本のポテトチップス市場では後発になる。 沿革構想1964年、地方の一中小企業にすぎなかったカルビーは、小麦系スナックのかっぱえびせんを売り出した。社長の松尾孝は、首都圏での販売拡大を目指していたが田舎の商品なんか相手にされない[注 2]と考えており「米国で評判になれば、お江戸もきっと振り向く」と1967年8月NYで開かれた国際菓子食品見本市にかっぱえびせんを出展する[8][9][7]。渡米した松尾孝は、NY食料品店で当時日本ではまだ馴染みのなかったポテトチップスが山積みされているのを見て、いつか販売しようと構想を温めた[10][9][11][12][13]。現在カルビーでは、これを構想の原点としている[10]。 松尾孝は帰国後、役員会で取りまとめポテトチップスへの参入を決定した[13]。ただ当時はかっぱえびせんが売れている最中でその対応が急務であり、ポテトチップス参入は後回しにされた[13]。 もう一つ構想の出発点となった話がある。同1967年11月かっぱえびせんのアメリカでの販売を目指して、松尾孝の三男松尾雅彦は渡米して見本市でもらった名刺を頼りに企業回りをすると、そこでポテトチップスの製造・販売も手掛けていたNY卸大手ローレンツシュナイダー社のミルトン・ブラウンからスナック菓子ビジネス特に品質管理について学んだ[7][9][14]。雅彦は帰国後そのこと[注 3]を父・孝に報告、孝はかっぱえびせんに次ぐ第2の商品としてポテトチップスに着目しだしたという[7]。 そうした努力が実り、かっぱえびせんは爆発的な売上を記録し、カルビーは中小企業から成長企業へと脱皮した[15][9]。ただかっぱえびせんは1971年を境に売上は落ちるようになる[11][16]。そこへ1971年仮面ライダースナック・1972年サッポロポテト・1973年プロ野球スナック・1974年サッポロポテトバーベQあじ、と次々とヒット商品を生み出した[17][11][7](いくつかは当初かっぱえびせんの姉妹品として売り出されている[18])。これらの原材料は小麦粉の他にジャガイモも用いており、カルビーでは原料のジャガイモが足りなくなったことに加え、ポテトチップス事業参入も決定していたことから、1970年代前半から北海道に貯蔵庫や工場を建設していた[11][13][14]。こうして小麦系のかっぱえびせん頼みから新たなジャガイモ事業への転換が進む中で[11]、松尾孝は次こそはポテトチップスがカルビーの柱となるよう情熱を燃やすことになる[9]。 1973年カルビーは攻勢をかけるため東京に本社を移す[7]。1975年6月カルビー株主総会で松尾孝は「9月からポテトチップスをやる」とぶち上げ、ジャガイモ事業の本命であるポテトチップスへの本格参入が始まった[11][17][13]。 発売「カルビーポテトチップス」発売、最初に売り出された味はのちの「うすしお味」で、1975年9月北海道、同年10月東京、同年11月大阪、と販売エリアを広げていった[1][11]。満を持しての市場投入だった[9]。
ただ当初は全く売れなかった[22][15][23][5][24]。販売責任者だった松尾雅彦[11]によると、問屋から追加注文はない、東京の店を歩いたら置いている店がない、置いていてもホコリを被って奥の棚にあった、という[22]。そのホコリを被ったものの中を開けると、油が酸化していたという[4]。そこで戦略を練り直し1976年6月新体制で売り出すと、一気に日本のポテトチップス市場トップシェアに躍り出た[1][22][19]。
フレーバー拡充も早くからはじめ、1976年「のりしお」、1978年「コンソメパンチ」、1982年「フレンチサラダ」を発売、特にコンソメパンチは爆発的なヒットとなった[10][1][3]。 1983年パッケージを変更、業界で初めてアルミ蒸着フィルムを導入した[3][30][23]。それまでのビニール製から遮光性・防湿性・防臭性が向上したことで鮮度向上に繋がり、またアルミの光沢感が高級感を演出したという[3][30]。業界で初めて中身の酸化を防ぐために窒素充填を始めている[7][31]。 改革カルビー公表による沿革では、ポテトチップス発売前である1974年までをカルビー創業期、発売後である1975年以降をカルビー成長期、と区分けしている[30]。 カルビーポテトチップス発売以前の日本のポテトチップス市場は、地方ごとにメーカーがあって地方向けに流通し、東京にも先行メーカーがあったものの[注 5]、それらメーカーは原料のジャガイモが確保できた時だけポテトチップスを生産し原料がないときは生産を止めていた、とカルビー副社長を務めた藤岡健二が証言している[7]。つまりカルビーポテトチップスを通年で市場投入するためには原料のジャガイモを確実に確保する必要があった[7][19]。また製品の鮮度を保つためには結局原料の品質にこだわる必要があった[24]。 ポテトチップス発売以前のカルビーは、松尾孝社長によるワンマン型中小企業経営で組織としては前近代的であり、ポテトチップスが爆発的に売れ急成長していくと組織として歪が生まれ様々な問題が発生した、と松尾雅彦が証言している[22][32]。1978年宇都宮工場で女性工員の時間外過重労働が労働基準法違反に問われ、他の工場でも同様に問われることになった[32]。ポテトチップスが売れ続けることにより労使問題は継続していた[32]。また松尾雅彦によると、ポテトチップスが売れ始めた1976年ころから松尾孝はジャガイモ研究の方に熱心になり現場に立たず指示は自宅から電話で一方的に伝え、孝の息子たちがそれをフォローする体制になっており、結果的に経営のバトンタッチが進んでいた[33]。 カルビーではポテトチップス発売以降こうした状況下で、消費者起点の社内改革や農工一体の産地改革、マネジメント改革・工場の生産効率化・原料ジャガイモ産地改革・SCM改革などが進められた[5][22][32][34]。中田康雄はこの時期に慶大の同窓である松尾雅彦に請われてカルビーに入社し、生産管理を担当している[35]。鮮度の高い商品を市場に投入するため全国を縦断するようにいくつも工場が整備された[36]。JIT方式導入もこの頃からであり、1975年発売当初から不良在庫の要因となる押し込み販売を止めスーパーマーケットに対して乱売を止めるよう奔走し[19]、製造年月日が導入されて以降店舗での製品チェックは営業担当者がおこない古いものは回収することになった[22][4][24]。スナック菓子はかさばり物流効率が悪いため卸問屋に対して公平な取引条件に改定し物流施設を更新するよう勧めた[5][22]。 1980年カルビーから原料部門が独立する形でカルビーポテト (企業)が発足した[15][37][30]。この会社は農協経由ではなく直接生産農家と栽培契約を結びジャガイモの安定供給を図るとともに[30]、全く考え方が異なる農家と工場との間で調整を図る目的で設立され[37]、これによりカルビー内で原料の調達・製品加工・販売までのプロセスが統合されることになった[23][34]。品種・輪作体系・イモの比重・肥培管理などカルビーが提案した条件を満たした農家には取引単価を上げるなど、生産農家と専属契約・インセンティブ制も本格化し、結果北海道でのジャガイモ生産は成長産業と化した[37][38]。カルビーポテトは世界初のジャガイモ専用運搬船カルビーポテト丸も運用している[15]。 こうした改革によりカルビーポテトチップスは一年中鮮度の高い状態で店頭に並べることができるようになり、1980年代は売れ続けた[37][7]。この時期で国内ポテトチップス市場のシェア75%(推定)に達していた[2]。安心した松尾孝は1987年社長を引退し、長男の松尾聰が二代目社長に就任した[37][39]。 小売店・問屋・同業他社にも影響を与えた。カルビーの攻勢に同業他社の中にはポテトチップス事業を止めようとしたところもあったが、逆に日本のポテトチップス市場が拡大したことで売上が伸び共存することができた、とされる[15]。製造年月日を刻印する取り組みは、当時同業他社や小売店・問屋から大ひんしゅくを買った[23][7]。パッケージをビニール製からアルミ密着フィルムに変えた際、小売店・問屋から中身が見えなくなったと反発された[7]。しかしこれらは後に菓子メーカーの常識にまでなった[7]。 ただ原料のジャガイモを巡って、農協を通さず生産農家と直接契約するカルビーとホクレン農業協同組合連合会とで対立が続き、一時は関係修復不可能な状況にまで陥った[32][40]。店舗での乱売阻止を巡って一時ダイエーからカルビーポテトチップスの全商品が撤去される騒ぎもあった[32]。 2000年代2000年代前半、日本では食の安全が問われる事故が続出し、それに伴い報道も加熱した[41][42]。カルビーポテトチップスでも同様だった。
2005年、事故[注 6]の責任を取る形で三代目社長の松尾雅彦が辞任[41]、中田康雄が四代目社長に就任した。カルビー創業者一族による同族経営が終わる発端の一つとなった[41]。一方でこれらのことを受けて、カルビーでは社内体制が再構築され、それまでクレーム対応はお客様相談室で受け取る形で対応していたが、それに加えて営業担当者が直接訪問して対応する方針を導入している[43][42]。この時期、2002年から消費者部門担当役員として陣頭指揮をとったのが伊藤秀二である[42]。 それまでは国内流通分に関しては国産ジャガイモに依存していたが[48]、2006年部分的解禁を受けて一時的にアメリカ産輸入ジャガイモでの製造を行い[49]、2007年から期間限定で輸入ものでの製造を始めている[46][50]。 2009年経営陣が一新、会長兼CEOに松本晃が、社長(五代目)兼COOに伊藤秀二が就任、同年ペプシコとの業務・資本提携を締結、ジャパンフリトレーを完全子会社化する。ただこの時期のカルビーポテトチップスの国内シェアは60%を割り込んでおり、更に低収益だった[36]。その原因はいくつかあり、一つには、カルビーでは発売初期から鮮度戦略をとり製造物流拠点へ投資してきたが、1990年代食品包装の技術革新により品質を長く保つことができるようになったため、それまでの製造物流拠点が不要となり工場稼働率が低下、施設群が重い固定費となってしまったためであり、それが長く改善されないままだった[36][51]。そこで松本は工場稼働率の向上に取り組み、それで増産されたポテトチップスの売上を伸ばすために2010年カルビーポテトチップスは値下げした[51]。これにより国内シェア7割を回復、利益率も上がった[2]。 2012年、世界最大501kgのポテトチップスを作成し、ギネス世界記録に認定される[52]。ただ同2012年には「堅あげポテト関西だしじょうゆ」に5ミリ四方のガラス片が混入し食べた人物が口の中を切る事件が発生、混入した可能性があるシリーズ9種類、計約534万袋を自主回収している[53][43]。これを受けてカルビーでは、顧客優先・情報開示・率先垂範・スピード・再発防止を柱とする自主回収における基本方針を策定している[43]。 2015年、発売から40周年を迎えた[10]。同年にカルビー初となる筒入り型「ポテトチップス クリスプ」を発売する[10]。 2017年、「ポテトショック」平成28年台風第10号により北海道産ジャガイモ不足が深刻な状況にまでなり、一時的に販売休止処置が取られた[54][50]。 その後、ポテトショックの反省から、道内外の水田地帯を利用するなどといった再発防止策に乗り出した[55]。 2019年、賞味期限を6ヶ月に延長し、賞味期限表記を年月日から年月に変更した[56]。食品ロス削減に向けた取組の一環で、技術的な改良をしたところ品質が維持できると確認が取れたため変更した、とカルビーはコメントしている[56]。また初期から行っていた製造年月日表記はこれにより全廃している[56]。 国内における加工用ジャガイモの需要増とそれに伴う生産量増加、ポテトショックを経て、長い間対立関係にあったホクレンとカルビーは和解し2020年提携協定を結んだ[40]。その連携協定に基づく新商品開発の第1弾として、ホクレンオリジナルブランド「よくねたいも」を原料に用いた「CHIPS NEXT Original」が発売された[57]。 品質日本国内で流通するカルビーポテトチップスの原材料バレイショは、7~8割が北海道産であり[59]、残りが九州・本州・四国産とアメリカ産を用いている[58]。カルビーにおける国産バレイショの収穫は毎年5月九州/6月四国と中部/6~7月関東/7~8月東北/7月~10月北海道で行われ、翌年5月ごろに北海道で生産され貯蔵していたものがなくなる[58][4]。つまりポテトチップスは、毎年初夏から秋にかけて全国で収穫されたもので製造(新じゃがキャンペーン期間)、毎年冬から春にかけて北海道産貯蔵分で製造し、国内もの端境期にあたる毎年2月から6月に限り海外輸入ものを併用して製造している[58][50]。 バレイショは植物防疫法により原則輸入が認められていない[44]。ただ部分的に検疫を通ったもののみ認められており、カルビーではその枠を使って農林水産省指定工場でのみ輸入バレイショで製造している[49][50][58](カルビー工場は国内に13ヶ所[60](北海道2・茨城2・栃木3・岐阜1・滋賀1・京都1・広島2・鹿児島1)、うち輸入用は港に近い広島西と鹿児島の2ヶ所[58])。ここまでして輸入ものを用いるのは、安定して通年で生産する体制を整えることで小売の棚を確保するため[54][61]。通年で小売の棚を確保することは北海道産ジャガイモを守ることにつながるという[61]。2017年ポテトショックに伴い一時的に輸入枠が拡大されたが、その際に外国産で作ったポテトチップスは日本人の口に合わないとわかり、結果国産ものが見直されたという[62]。また北海道産のものを全国の工場へ運搬するためにポテト丸を運用している。。カルビーポテトの馬鈴薯研究所では「ぽろしり」などポテトチップスに向いた新品種を開発している[63]。 原料は生食用ではなく加工用のものであり、カルビーでは用いているジャガイモ品種を公開している。GMO(遺伝子組み換え作物)は使用していない[64]
通常の60gポテトチップス1袋あたりジャガイモ2~3個、コンビニ限定の85gポテトチップス1袋あたり3~4個使われている[65]。同じ袋の中にあるポテトチップスでも厚みが違うのは、ジャガイモ品種それぞれの特性に合わせて同じ食感になるよう切るときの厚みを変えているためである[66]。 アクリルアミドについて、カルビーではIR・投資家情報の事業等のリスクで以下の通り公表している。
アクリルアミド対策としては、そのもとになるアスパラギン・還元糖を減らす、必要以上に高温・長時間の加熱をしない、などの企業努力を行っている[67]。ポテトチップスは160℃~180℃の温度の油で約2分揚げている[68]。この際にジャガイモが油を吸うため、揚げる油は常に新しいものが注ぎ足され、古い油は残らない[69]。 パッケージ・容量パッケージカラーは、うすしお味がオレンジ、コンソメパンチがベージュ、のり塩が黄色、と基幹商品は色が固定している。なお湖池屋ポテトチップスもほぼ同系色である。これにカルビーではキャラクター・ポテト坊やが描かれている。またパッケージに右上に、製造所固有記号、数字と英字からなる記号が刻まれており、そこから産地・生産者を検索できるサービスを公開している。 →ジャガイモまるごと!プロフィール - カルビー公式参照
以下、定番品であるレギュラーサイズうすしお味のリニューアル遍歴を示す。1975年発売から2019年時点で14度リニューアルしている[70]。
できたてカルビーでは国内3ヶ所で工場見学を実施しているが、ポテトチップス製造の見学ができるのが北海道千歳工場のみになる[60][72]。事前申し込みが必要。所要時間は約1時間程度でガイド付きであり、製造工程を窓から覗いて見る形になる[60][72]。できたてを試食でき、お土産に数種類もらえる[60][72]。 →工場見学 - カルビー公式参照
またカルビーでは「カルビープラス」というアンテナショップを展開している。そのいくつかで、できたてのポテトチップスを販売している[72]。 →カルビープラス - カルビー公式参照
商品一覧ポテトチップスそのものはシンプルなスナック菓子であるため、早くからフレーバー開発が進んだ[1]。その大きな転換点となったのは1978年発売のコンソメパンチの大ブームであり、この味替わりポテトチップスの成功はカルビーだけでなく他社でも影響しフレーバーによる差別化競争[注 7]が始まった[31]。地域限定商品は、「自分の育った土地でなじみのある味つけ」を好んで食べる傾向があるためそれを元に商品開発している[73]。醤油味が特に多い[73]。カルビー公式によると、常時50種類以上、限定商品を含めると年間で100種類程度販売されている[74]。2018年報道によると地域限定商品を含めると年間で約200種類が販売されている[75]。消費者の好みの多様化を促進しているものの、逆に商品の短命化も進んでいる[31]。 カルビー製品内での売り上げトップは、1965年からしばらく“かっぱえびせん”だった(1972年“仮面ライダースナック”と1974年“サッポロポテトバーベQ味”は除く)[76]。1977年から“カルビーポテトチップスうすしお味”がカルビー製品内での売り上げトップとなり、1980年からうすしお味あるいは“カルビーポテトチップスコンソメパンチ”が1位2位となり、1995年“じゃがりこ”が発売されて以降トップ3はポテトチップス系とじゃがりこ系で占めている[76]。 現行→2020年カルビー公式より参照
通年商品地域の味
コンビニ限定47都道府県の味→2020年カルビー公式より参照
47都道府県それぞれの地元の味を再現したポテトチップスを数量限定・期間限定で発売。 その他
主な過去商品
2023年には、香港版の「ポテトチップス 熱浪」として逆輸入版が再発売された。[78]
など
海外展開→世界のカルビー商品 - カルビー公式参照
2011年東証一部上場以降、カルビーでは海外事業の拡大を経営戦略の柱としている[80]。韓国ではしあわせバターの現地版であるハニーバターチップが2014年大ブレイクし、品薄状態になるなど社会現象が起きた[81]。イギリスでは2018年現地子会社カルビーUKがシーブルック・クリスプス社を買収、そのままのブランドで販売している[82]。 関連会社カルビーポテト (企業)・ジャパンフリトレーの製品については当該リンク先参照。
CM→キャンペーン・動画 - カルビー公式参照
CM出演
CMソング
脚注注釈
出典
参考資料
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