初代ブラッドフォード伯爵 オーランド・ブリッジマン (英語 : Orlando Bridgeman, 1st Earl of Bradford 、1762年 3月19日 – 1825年 9月7日 )は、イギリス の貴族、政治家。1784年から1800年まで庶民院 議員を務めた[ 1] 。
生涯
初代ブラッドフォード男爵ヘンリー・ブリッジマン と妻エリザベス(Elizabeth 、旧姓シンプソン(Simpson )、1735年11月14日 – 1806年3月6日、ジョン・シンプソンの娘[ 2] )の三男(長男ヘンリー・シンプソン は1782年に没、次男オーランドは夭折)として、1762年3月19日に生まれた[ 3] 。1770年から1771年までハーロー校 で教育を受けた後[ 1] 、ニューコムズ・スクール (英語版 ) に進学、1782年12月15日にケンブリッジ大学 トリニティ・カレッジ に入学した[ 4] 。
1784年イギリス総選挙 でウィガン選挙区 (英語版 ) から出馬した[ 5] 。ブリッジマン家はウィガン選挙区で勢力を有しており、有力者の第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク の支持も受けたブリッジマンは無投票で当選した[ 1] [ 5] 。その後もブリッジマン家とポートランド公爵の選挙協力が続き、ブリッジマンは1790年 と1796年 の総選挙で再選した[ 6] 。
議会で演説した記録はなかったが、採決ではポートランド公爵派に属し、はじめ野党側だったが、1792年にフランス革命戦争 が勃発すると与党に転じた[ 1] [ 7] 。1793年、オックスフォード大学 よりD.C.L. (英語版 ) の学位を授与された[ 4] 。
1791年にロイヤル・ランカシャー民兵隊 (英語版 ) に入隊して大尉になり[ 1] 、1794年9月22日に少佐に昇進した[ 8] 。1799年にシュロップシャー 民兵隊副隊長(軍階は中佐)に任命され、1804年に隊長に昇進した[ 1] 。1800年から1804年まではスタッフォードシャー・ヨーマンリー (英語版 ) 連隊にも大尉として籍を置いた[ 1] 。
1800年6月5日に父が死去すると、ブラッドフォード男爵 位を継承した[ 2] 。直後にウィガン選挙区で行われた補欠選挙では娘婿にあたるジョージ・ウィリアム・ガニング (英語版 ) が無投票で当選したが、地元の名士ジョン・ヴォース(John Vause 、1800年にウィガン市長を務めた)やウィリアム・クレイトン(William Clayton 、1801年と1803年にウィガン市長を務めた)が多数の自由市民(freemen )を選出してブリッジマン家の影響力を薄めた結果、ガニングは1802年イギリス総選挙 で当選できなかった[ 6] [ 9] 。ガニングなどブリッジマン家の支持者は1807年にブリッジマン家の影響力拡大を目指したが、失敗に終わり[ 6] 、1820年イギリス総選挙 で長男ジョージ・オーガスタス を立候補させるも落選に終わった[ 10] 。
1802年に第7代マウントラス伯爵チャールズ・ヘンリー・クート が死去すると、その遺産のうちイングランドにおける領地を継承した[ 7] 。
1815年11月30日、シュロップシャー におけるブラッドフォード伯爵 とニューポート子爵 に叙された[ 2] [ 11] 。
1825年9月7日にスタッフォードシャー のウェストン (英語版 ) で死去、息子ジョージ・オーガスタス・フレデリック・ヘンリー が爵位を継承した[ 2] 。
家族
1788年5月29日、ルーシー・エリザベス・ビング(Lucy Elizabeth Byng 、1766年10月17日 – 1844年9月20日、第4代トリントン子爵ジョージ・ビング の娘)と結婚[ 2] 、4男1女をもうけた[ 7] 。
出典
^ a b c d e f g Drummond, Mary M. (1964). "BRIDGEMAN, Orlando (1762-1825), of Weston Park, Staffs." . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月16日閲覧 。
^ a b c d e f Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 275–276.
^ a b Debrett's Peerage of the United Kingdom of Great Britain and Ireland (英語). Vol. I (17th ed.). London: G. Woodfall. 1828. p. 240.
^ a b "Bridgeman, Orlando. (BRGN782O)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ a b Brooke, John (1964). "Wigan" . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月16日閲覧 。
^ a b c Port, M. H.; Fisher, David R. (1986). "Wigan" . In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月16日閲覧 。
^ a b c Port, M. H. (1986). "BRIDGEMAN, Orlando (1762-1825), of Stoke Hall, Derbys." . In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月16日閲覧 。
^ "No. 13709" . The London Gazette (英語). 27 September 1794. p. 987.
^ Port, M. H. (1986). "GUNNING, George William (1763-1823), of Horton, Northants." . In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月18日閲覧 。
^ Bairstow, Stephen; Fisher, David R. (2009). "Wigan" . In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月16日閲覧 。
^ "No. 17066" . The London Gazette (英語). 30 September 1815. p. 1997.
^ a b c d Burke, Sir Bernard ; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 294–295.
外部リンク