オーブリー2世 (マコン伯)
オーブリー2世(フランス語:Aubry II de Mâcon, 935年 - 982年)またはアルベリク2世・ド・マコン(フランス語:Albéric II de Mâcon)は、マコン伯(在位:966年 - 982年)及びブザンソン伯(在位:965年 - 982年)。 生涯マコン伯リエタール2世とその妻エルマンガルド・ド・シャロン(ブルゴーニュ公ジルベール・ド・シャロンの妹)の息子として生まれる。 957年にマコン伯領を父と共同統治するようになり、966年に父の後を継いでマコン伯となった。 971年、オーブリー2世はクリュニー修道院とトゥールニュ修道院に重要な寄付を行った。 982年以前にオーブリー2世は嫡男に恵まれずに死去した。寡婦となったエルマントルドはマコン伯領の統治権を相続し、彼女と再婚したブルゴーニュ伯オット=ギヨームが次代マコン伯となった。 結婚と子女ルシー伯ルノーとアルベラード・ド・ロレーヌの娘でロートリンゲン公ギゼルベルトの外孫にあたるエルマントルド・ド・ルシーがオーブリーの唯一名が伝わっている妻であるが、彼女と結婚する前に前妻または愛妾がいた[1]。 オーブリーは生涯で以下の子女をもうけている。 母不明の子 エルマントルドの子
脚注
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