オレグ・パシニン
オレグ・アレクセヴィッチ・パシニン(ロシア語: Олег Алексеевич Пашинин[1]、1974年9月12日 - )は、ロシア出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者。 人物ロシア出身だがウズベキスタン市民権も持つため、代表ではウズベキスタン代表としてプレイした[2]。 対人能力の強いストッパータイプのCBで、足元にも定評があった[3]。 来歴タンボフ州ソスノフカ地区のДегтянка村で生まれる[4]。最終学歴はモスクワ地方教育大学体育学部大学院修了[5]。 FCロコモティフ・モスクワのアカデミー出身[4]。1992年18歳からトップチームであるロコモティフ・モスクワと契約する[2]。 まずフォワードとして起用され、次にミッドフィールダー、最後にセンターバックに固定された[2]。ただユーリ・セミン監督はこの時点ではパシニンを評価していなかった[2]。 2001年初頭にウズベキスタン市民権を取得し、ウズベキスタン代表デビューしている[2]。 2001年8月、ロシア人のヴァレリー・ニポムニシ監督率いるJリーグ・サンフレッチェ広島に期限付き移籍で加入する[2][6]。日本での登録名は「オレグ」[3]。トニー・ポポヴィッチ退団により計算できるCBの居なくなったため、上村健一とともに主力として活躍、2ndステージ3位になる原動力となった。 同監督の退任や新監督ガジ・ガジエフが構想外にしたこと[7]、またロコモティフから復帰要望があり、2001年シーズン終了後ロコモティフに復帰した[2]。その後はセミン監督により主力として定着し、ロシアプレミアリーグ2度優勝に貢献、UEFAチャンピオンズリーグにも出場した[2]。2007年末に引退[2]。 引退後は2009年からロコモティフの2軍であるロコモティフ-2のアシスタントコーチ、同年7月からセミン監督の下、ロコモティフのコンディショニングコーチに就任した[5]。2011年セミン退団に伴い再びロコモティフ-2のアシスタントコーチに就任した[5]。 2013年、ロコモティフを離れ、ユーリー・クラスノジャン率いるFCテレク・グロズヌイでアシスタントコーチに就任した[5]ものの、クラスノジャンが成績不振により解任されている。 2014年、ロシア・ナショナル・フットボールリーグのFCヒミク・ジェルジンスク監督に就任するも、個人的な理由によりシーズン開始前に退任する[8]。同年9月ロコモティフのユースチームのアシスタントコーチに就任した。 個人成績
代表歴試合数
脚注
関連項目外部リンク
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