オルベテッロ (伊 : Orbetello )は、イタリア共和国 トスカーナ州 グロッセート県 にある、人口約14,200人の基礎自治体 (コムーネ )。
ローマの北西約120kmに位置するオルベテッロの潟湖は、戦間期 のイタリアにおいて水上飛行場 として利用され、大西洋横断飛行の出発地などイタリア空軍 の航空イベントの舞台となった。オルベテッロの集落は、潟湖中央の砂州上に立地する。
地理
位置・広がり
グロッセート県 南部、マレンマ (英語版 ) 地方に属するコムーネである。オルベテッロの集落は、県都グロッセート から南南東へ約37km、州都フィレンツェ から南へ約148km、首都ローマから北西へ約120kmの距離にある。
コムーネの領域はティレニア海 に面しており、南西部にはオルベテッロ潟 (英語版 ) が広がっている。潟湖の対岸(プロモントリオ)はモンテ・アルジェンターリオ である。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。
地勢
本土側から、プロモントリオに向かって3本の砂州 が伸びる。西北側(Giannella砂州)と東南側(Feniglia砂州)の2本によってプロモントリオと本土が結ばれており、もともとは島であったプロモントリオを陸繋島 にしている。中央の砂州と堤防(土手道 )によってオルベテッロ潟は2つに分けられており、西側の潟湖を Laguna di Ponente、東側の潟湖を Laguna di Levante と言う。オルベテッロ潟湖一帯は、重要な自然保護区 であり、1976年にラムサール条約 登録湿地 となった[ 4] 。
気候分類・地震分類
オルベテッロにおけるイタリアの気候分類 (it ) および度日は、zona C, 1260 GGである[ 5] 。
また、イタリアの地震リスク階級 (it ) では、zona 4 (sismicità molto bassa) に分類される[ 6] 。
主要な集落
オルベテッロ の中心集落はコムーネの南部、潟湖に突き出した中央の砂州の上に位置している。コムーネ中部、アルベーニャ川河口にはアルビニア (it:Albinia ) の集落がある。
このほか、コムーネ北部の沿岸部にフォンテブランダ (it:Fonteblanda ) とタラモネ (it:Talamone ) がある。コムーネ南部のアンセドニア (it:Ansedonia ) は、ローマ共和政初期の植民市コーサ (Cosa ) に起源を持つ。また、コムーネ西部のプロモントリオ側にはジャンネッラ (it:Giannella ) がある。
歴史
古代
オルベテッロはエトルリア人 の居住地であった。植民市コーサ (Cosa ) を築いたローマ人は、紀元前280年頃にオルベテッロ一帯をその支配下に収めた。紀元前225年 には、現在のタラモーネ付近で、ローマ人とガリア人 のテラモンの戦い が行われている。
中世・近世
中世、オルベテッロはアルドブランデスキ家 (Aldobrandeschi family ) の所領であり、14世紀にオルヴィエート に代わった。ピティリアーノ のオルシーニ家 とオルヴィエートとの間に紛争が繰り返されたのち、シエーナ共和国 の支配下に入った。16世紀の半ば、スペイン の傀儡国家であるプレシディ領 (State of Presidi ) の一部となり、その首都がおかれた。
1646年には、西仏戦争 中の戦闘であるオルベテッロの戦い (Battle of Orbetello ) が、オルベテッロ潟周囲で行われた。
近代・現代
その後トスカーナ大公国 領となり、以後1860年のイタリア統一 までその支配下にあった。
ファシスト政権下、オルベテッロ潟はイタリア空軍 の重要な航空イベントの舞台となった。イタロ・バルボ 空軍大臣自ら率いるサヴォイア・マルケッティ S.55 の編隊は、1930年 にはブラジルへの大西洋横断飛行 (it:Crociera aerea transatlantica Italia-Brasile ) に、1933年 にはアメリカ合衆国への大西洋横断飛行 (it:Crociera aerea del Decennale ) に、いずれもオルベテッロ潟から出発している。
社会
人口推移
自然・環境
オルベテッロ潟 (英語版 ) (Laguna di Orbetello)は、ラムサール条約 の定める「国際的に重要な湿地」に登録されている[ 4] 。イタリアのラムサール条約登録地一覧 も参照。
交通
潟湖上の土手道を走るSS440。かつては鉄道が走っていた。
オルベテッロ=モンテ・アルジェンタリーオ駅
オルベテッロ=モンテ・アルジェンタリーオ駅
道路
ピサとローマを結ぶ鉄道幹線で、欧州自動車道路としても指定されているSS1(国道1号線アウレリア街道)が市域を南北に縦貫する。ティレニア海の海岸沿いに南下したSS1は、潟湖東岸を走り、アンセドニア北方に至る。市域北部のアルビニアではSS1からSS74とSS323が分かれている。SS440はSS1から西へ分岐して砂洲上にあるオルベテッロの集落を貫き、ポルト・サント・ステーファノに至る。
欧州自動車道路
国道
鉄道
ピサとローマを結ぶ鉄道幹線であるピサ=リヴォルノ=ローマ線が市域を南北に縦貫している。
かつて、オルベテッロ=モンテ・アルジェンタリーオ駅からは、モンテ・アルジェンターリオ のポルト・サント・ステーファノやポルト・エルコーレとを結ぶ鉄道路線 (it:Ferrovia Orbetello-Porto Santo Stefano ) があったが、第二次世界大戦で破壊され、その後再建されなかった。
脚注
外部リンク
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