オモデオ・タッソオモデオ・タッソ(Omodeo Tasso)は、13世紀後半のイタリアの人物で、タッソ家(のちのトゥルン・ウント・タクシス家)の家長。ベルガモを中心とする郵便網(ベルガモ飛脚)を築き、近代的な郵便制度を開拓した。 名前名はアマデオ・タッソ(Amadeo Tasso)、オメデオ・タッソ(Omedeo Tasso)とも記される。 タッソ家の家名も、タッシ(Tassi)、デ・タシス(de Tassis)などと記されることがあり、オモデオ・デ・タシス(Omodeo de Tassis)の表記もなされる。 生涯オモデオの家族は、1200年頃からベルガモ近郊ヴァル・ブレンバーナのアルメンノに暮らしていたことが知られている[1]。ベルガモ周辺では、皇帝派(グエルフ)のコッレオーニ家と教皇派(ギベリン)のスアルディ家の紛争が発生し、オモデオの家族はより奥地の村であるコルネッロに移住した。オモデオはこの村で成長した。 ミラノ(ヴィスコンティ家)がベルガモを占領すると、1290年頃に[2]オモデオは一族の32人を組織して飛脚会社 (Compagnia dei Corrieri) を設立し、ミラノとヴェネツィア(ヴェネツィア共和国)、ローマ(教皇領)を結んだ[3]。王侯やローマ法皇の後援を受けた彼の会社は非常に優秀であり、イタリア全土で飛脚は「ベルガマスキ」(bergamaschi) と呼ばれるようになった[4]。 子孫タッソ家(のちにトゥルン・ウント・タクシス家)は、近代的な郵便制度を開拓し、神聖ローマ帝国の郵便長官として帝国郵便(ライヒスポスト)を管轄、また彼ら自身の事業(トゥルン・ウント・タクシス郵便)をも築いた。 創作の中でトマス・ピンチョンの小説『競売ナンバー49の叫び』において、オモデオは Omedio Tassis と名を替えられた上で重要な役割を演じている[5][6]。 関連項目
脚注
|