オミナエシ
オミナエシ(女郎花、学名:Patrinia scabiosifolia)は、合弁花類オミナエシ科オミナエシ属の多年生植物。秋の七草の一つとして、日本では古くから親しまれている。別名は、敗醤(はいしょう)ともいう。 名称和名の由来は、同属で姿がよく似ている白花のオトコエシ(男郎花)に対する「女郎花」で[1]、全体にやさしい感じがするところから名付けられたとされる[2]。「オミナエシ」の読みの語源はよくわかっていないが、一説には「エシ」は「圧し(へし)」であり、花の姿の美しさは美女を圧倒するという意味だとする説がある[3]。漢字で「女郎花」と書くが、これは漢名ではなく、日本では「敗醤」を当てていた[4]。花を室内に挿しておくと、やがて醤油の腐敗したような匂いになっていくことに由来する[4]。別名を、オミナメシ[1]や、チメグサ[2]ともいう。 漢名(中国植物名)は、黄花竜牙[5]。 特徴沖縄をのぞく日本全土[2]および、中国から東シベリアにかけて分布している。日当たりの良い山野の草地や林縁に自生している[4][5][2]。近年では数が減りつつあり[2]、人里近くで野生のものを見かけることは少なくなっている[6]。 多年草[2]。草丈は60 - 100 cm程度で[7]、夏までは根出葉だけを伸ばし、その後花茎を立てる。根茎はやや太く、横向きになる[7]。葉は対生し、羽状分裂で深く裂け、葉の裂片は幅が細く、やや固くてしわがある[4][1]。 花期は夏から秋にかけて(8 - 10月)、茎の上部で分枝して、花茎の先端に黄色い小花を平らな散房状に多数咲かせる[4][8][2]。1個ずつの花は、直径3 - 4ミリメートル (mm) ほどの合弁花で[5]、花冠は5裂し、下は短い筒となる[4][1]。花の中に、雄しべが4個、雌しべは1個ある[6]。 果実は痩果で、長さ3 - 4 mmの楕円形や長楕円形をしており[2]、果皮は茶褐色でやや粗く、中に種子が1つ入っている[9]。縦に低い稜があり、平たくて縁はごく狭い翼状になる[4][9]。花はよく目につくが、果実期はほとんど目立たない[9]。結実した種子でもふえるが、多くは株わきにできる新苗で増える[5]。 日本では万葉の昔から愛好され、前栽、切花などに用いられてきた。漢方にも用いられる。 同じ科の主な種
栽培日当たりの良い肥沃地を好む[4]。土地が痩せていたり、日陰は生育不良で、花も貧弱になり根も肥大しない[4]。古株のわきに新苗ができるため、これを株分けして肥培する[4]。 生薬10月頃に地上部の茎葉を切り除いて根を掘り、天日乾燥させたものは生薬となり、敗醤根(はいじょうこん)と呼んでいる[4]。消炎、排膿、浄血作用があり、婦人病に用いられる[4]。1日量10グラムの敗醤根を、水500 ccでとろ火で半量になるまで煎じ、3回に分服する用法が知られている[4]。 また、花のみを集めたものを黄屈花(おうくつか)という。これらは生薬として単味で利用されることが多く、あまり漢方薬(漢方方剤)としては使われない(漢方薬としてはヨク苡仁、附子と共に調合したヨク苡附子敗醤散が知られる)。 文化意匠・色目襲色目の一つ。 文学日本の文学作品に登場する際に、オミナエシの花が持つ東洋的な美しさ、センスの良さが、ロマンチックに表現されていることが多い[5]。 奈良時代に編纂された『万葉集』に山上憶良が詠んだ秋の七草に登場する。「萩の花尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」(万葉集・巻八 1538)である。また、作者不詳で「手に取れば袖さへにほふ女郎花この白露に散らまく惜しも」(万葉集・巻十 2115)とも詠まれている。 平安時代の紫式部『源氏物語』では歌の言葉、前栽の花や襲色目の名として何箇所にも出てくる。
能の演目に『女郎花』という曲がある[5]。読みは「おみなめし」。小野頼風とその妻の話。頼風に捨てられたと誤解した妻が放生川に飛び込んで自殺。妻を墓に埋めると、残っていた山吹襲(やまぶきさがね)の衣が朽ち果て、そこから山吹色をした一輪の女郎花が生える[5]。頼風がその女郎花に近づくと、まるで頼風を拒絶するかのように女郎花が風で逃げ、頼風が離れるとまた元に戻った。それを見た頼風は死んだ妻が自分を拒絶しているのだと思い、妻と同じ川に飛び込んで自殺する。 その他名前の由来:異説有り。えしは古語の圧しであり、「おみな(女)へし(圧し)」として「美女を圧倒する」美しさからという説。 また、古くは女郎花を「おみなめし」と読むことから、へしはめしの転訛であり、花が粟飯の粟粒のように見えることによるという説もある。 粟飯の別名が女飯(おみなめし)である。 花言葉を、「優しさ」「親切」「美人」とする文献がある[2]。 脚注参考文献
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