エルヴィン・ボヴィーン - 1920年代の自画像
エルヴィン・ヨハネス・ボヴィーン (ドイツ語:Erwin Johannes Bowien,1899年 9月3日 - 1972年 12月3日 )は、ドイツ の画家 、作家 、詩人 。
生い立ち
エルヴィン・ボヴィーンは、建築技師でのちノルトライン=ヴェストファーレン州 のヴァイル・アム・ライン のライン港組合営業取締役を勤めたエーリッヒ・ボヴィーンとその妻アンナ-マリアを両親に生まれた。アンナ-マリアは旧姓ノイフェルド、東プロイセン のエルビング 出身。エルヴィンはベルリン-シャルロッテンブルク区で、のちにスイス のヌーシャテル で育った。ボヴィーンはエリック・ティボウと親交を結び[ 1] 、彼の助力で1948年第二次世界大戦 後、ボヴィーンのスイスへの再入国が可能になった。
彼の最初の芸術教育はヌーシャテルの美術工芸学校で、ウィリアム・ラシンに師事した。スイスのチョコレート製造業者カール・ルス-スシャードは若きボヴィーンに次々注文し、多くの絵画を買い上げた[ 2] 。
ドイツ国民としてボヴィーンは18歳の誕生日に召集され、1917~1918年盗聴部隊の通訳者として第一次世界大戦 で兵役に就いた。この時期に彼はとりわけアルゴンヌの森 の戦線をスケッチや水彩画に描いた。1919年ハノーファーで除隊。
終戦後ボヴィーンは、ハノーファーの美術工芸学校の夜間部へ通った[ 3] 。 1920-1921年ミュンヘン 国立芸術アカデミー在学中、ロベルト・エンゲルス教授に師事。続いて1922年ドレスデン芸術アカデミーに在籍しリヒャルト・ミュラー 教授 に師事した[ 3] 。引き続き図画教師の資格を取るためベルリン・シェーネベルク国立美術学校でフィリップ・フランク の元で学び、またオスカー・フィッシェルの美術史の授業を受けた。1923年図工教師資格試験をデュッセルドルフ で受験。翌年以降数年、カッセル 、アーヘン 、ハンブルク 、リューベック 、カールスルーエ 、フライブルク・イン・ブライスガウ 、バーゼル 、ケーニッヒスベルク そしてヒルデスハイム 、さらにプラハ 、ウィーン へ(1928年)、また北イタリア(1929年)へと画業の旅を続けた[ 4] 。
1925年から1932年までゾーリンゲンのギムナジウム・シュヴェルトシュトラーセで美術教師を務め、後のドイツ大統領ヴァルター・シャイールも彼の教え子の一人であった。この間、地元の成人教育センターで美術史に関する講義を100回以上行った。さらに彼はゾーリンゲンのツヴィリング 工場から全作業工程の製図化を依頼された。ブリュニングの非常事態令により、教職を退くことになる。この頃、エルナ・ハイネン夫妻の芸術家・文学サロンを定期的に訪れ、そこから生涯の友好関係を築く。ハイネン家の娘ベッティーナ・ハイネン–アイエヒ (1937-2020)は、彼の最も重要な画家の弟子となった[ 5] 。
エグモント アーン ツェー 海辺のエグモント (1937)
1932年から1942年の間ボーヴィンは独立した画家としてエグモンド・アーン・デン・ヘーフ(北オランダ )で暮らした。彼の住居はかつて哲学者ルネ・デカルト の住んだ家であった。教職を解雇されてから、彼はレンブラント の展覧会を訪ねるためアムステルダム へ向かった。そしてそのままオランダに留まった。そこでの彼の重要な絵の生徒はディルク・オウデスだった。1934年ボヴィーンは北アフリカ への旅を企てた。リビア 、チュニジア 、アルジェリア そしてモロッコ を巡る大旅行で旅の財源は同行した材木卸業者であった。旅費を負担する代償に、彼はボヴィーンが旅の間に描き上げた作品の半分を手に入れた。[ 6] しかし旅の過酷さが祟りその後ボヴィーンは長く苦しむことになった。[ 7] 風景画の他に、ボヴィーンは裕福なオランダ人の肖像画や家族の肖像を数多く描いた。ホールン のヴェストフリージッシュ美術館はボヴィーンの作品を購入した[ 8] 。 その他の絵画は寄贈によりアムステルダム国立美術館 [ 8] 、デン・ハーグのロイヤルハウスアーカイブス[ 8] 、アルクマール[ 8] の郷土アーカイブ、そしてショールの教区の所蔵となった[ 8] 。
ナチスの台頭「権力掌握」 が、ドイツへ戻らなかった理由だということを、ボヴィーンは自伝 で、ただこう暗示している。ー政治は日々「新たな苦痛」をもたらす。「そのため当時の私の絵は叫びから生まれたものだ。海は私にとって荒れ過ぎることなく、雲は不吉過ぎることはなかった」[ 9] ドイツ軍 のオランダ占領 後、ボヴィーンは3日間アルクマール に拘留された。政況から収入の道を断たれた彼は、止む無く重い心でドイツに戻った。彼は35点の作品をデン・ハーグ の画商の庇護のもとに残したが、それらの行方は不明のままである[ 10] [ 5] 。彼はひとまず最初の半年間、ゾーリンゲンのハイネン家に身を寄せた。そこで1942年冬彼は街の風景を一連の水彩画 で描いた。これらは1944年11月破壊され瓦礫と化した街を描いた最後の作品シリーズとなった[ 5] 。
続くボヴィーンの滞在地はアウグスブルク だった。第二次世界大戦中のことで木枠 もキャンバス も買うことができなかった。そこで彼は思い付き、至る所で売られていた総統 の肖像やナチスのプロパガンダの絵を買い、塗り潰し新たな下地 の上にアウグスブルクの街の風景を描いた。絵はよく売れたが密告され、1943年彼の作品はアウグスブルクで帝国文化部会 の指示によりゲシュタポに押収された。30点以上の作品が戦禍で破棄された。有効な身分証明書、特に兵役手帳を持たずに彼はアルゴイ地方のクロイツタール-アイゼンバッハ(現在イシュニーの市区)に逃亡した。そこで彼の戦争の記録Les heures perdus du Matin(失われた朝の時間)が創作された。また彼はそこで逃亡したフランス人捕虜を助け匿った[ 11] 。
戦後エルヴィン・ボヴィーンはゾーリンゲンに戻り、1950年以降故郷のヴァイル・アム・ラインと行き来しながらそこで暮らした。さらに画業の旅は続き、ドイツ国内、スイス 、南スウェーデン、ノルウェー (そこでアルステン島に『ベッティーナ・ボー』と名付けたヒュッテを購入)、パリ 、アルジェリア(ベッティーナ・ハイネン~アイエヒを訪問)、フィンランド 、南仏 、を訪れた。彼は1970年7月28日インケン・ストローマイヤー(旧姓フォークト)と結婚した。1972年12月3日エルヴィン・ボヴィーンはヴァイル・アム・ラインで亡くなり、その地に埋葬された。[ 12] 彼の墓地はヴァイル・アム・ライン市の名誉墓所として保存維持されている。画家の絵画はノルトライン–ウェストファーレン州文化省[ 8] 、フースム[ 8] のノルトフリースラント美術館(ニッセンハウス)[ 8] 、レーラッハのドライレンダー美術館(元ブルクホーフ博物館)[ 8] 、シュプリンゲの郷土博物館
[ 8] 、ハノーファー・ミュンデン 市美術コレクション、ゾーリンゲンとヴァイル・アム・ラインに買い上げられた[ 8] 。
1976年10月20日、ゾーリンゲンの刃物博物館内に財団エルヴィン・ボヴィーン友の会が結成された[ 8] 。
展覧会
1917年 ヌーシャテル (ノイエンブルク), スイス。「金の薔薇」画廊にて展覧会。[ 13]
1927 年 ドイツ、ゾーリンゲン 。ゾーリンゲン ・カジノ協会ホールにて第1回展覧会。[ 8]
1928年 ドイツ、ゾーリンゲン。ゾーリンゲン ・カジノ協会ホールにて第2回展覧会。[ 8]
1929年 ドイツ、ゾーリンゲン。ゾーリンゲン ・カジノ協会ホールにて第3回展覧。[ 13]
1933ー1941年 オランダ:フールン 、エグモント、ゴリンヒェン 、ショール、デン・ハーグ にて展覧会。[ 13]
1947ー1959年 ドイツ、ゾーリンゲン。ドイツ刃物博物館にて「ベルギッシュ美術展」へ出品。[ 8]
1951年 ドイツ、フースム。ノルトフリースラント美術館(ニッセンハウス)にて展覧会 。[ 13]
1954年 スイス、ベルン 。 「ハウス・デア・インネレン・エンゲ」画廊にて展覧会。(5月2日-31日). 開会の辞:E.M. ファレット フォン カステルベルク博士。[ 13]
1957年 ドイツ、フースム 。ノルトフリースラント美術館(ニッセンハウス)にて展覧会 。美術館買い上げ。[ 8]
1957年 デンマーク、コペンハーゲン 。ドイツクラブにて展覧会。開会の辞: ドイツ大使館文化担当官 オーバーマイヤー博士。[ 8]
1958 年 ドイツ、ゾーリンゲン。「ノイエン・ラインツァイトゥング」新聞社会場にて展覧会。[ 8]
1958年 ドイツ、ハノーファーシュ・ミュンデン 。郷土美術館の再開を記念にヴェルフェン城にて展覧会。[ 8]
1958年 デンマーク、コペンハーゲン。ドイツクラブにて第2回展覧会。[ 8]
1960年 ドイツ、ゾーリンゲン。1月 17日-2月28日、ドイツ刃物博物館にてエルヴィン・ボヴィーン60歳記念回顧展。
1962 年 スイス、ベルン。シュナイダー画廊にて展覧会。[ 8]
1964年 フランス、パリ 。ギャラリー・デュカンにて展覧会(10月2-16日)。[ 8]
1965年 スイス、アウ|サンクト・ガレン 「ツォル・シュトラーセ」画廊にて展覧会(4月24日-5月2日)。[ 8]
1967年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン 成人教育会館にて展覧会。(9月23日-10月9日)レーラッハのブルグホフ美術館及びヴァイル・アム・ライン市により多数の作品買い上げ。[ 8]
1968年 ドイツ、ブライスガウ地方フライブルク 。市庁舎にて展覧会(4~5月)。[ 8]
1968年 ドイツ、バード・ゼッキンゲン。トロンペーター城にて展覧会。(12月1−22日) ホッホライン 芸術協会主催。[ 8]
1969年 ドイツ、ブライスガウ地方フライブルク 。造形美術家協会主催 ボヴィーン70歳記念展覧会。[ 8]
1970年 ドイツ、ゾーリンゲン。ドイツ刃物博物館にて展覧会。
1971年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン。成人教育会館にて展覧会。[ 8]
1973年 ドイツ、シュプリンゲン|ダイスター 郷土博物館にて遺作展(1973年8月25日-9月30日)。[ 8]
1974年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン。遺作展 。ボヴィーンの家にて展覧会(1974年1月2~14日)。[ 8]
1974年 モロッコ、ラバート 。 ゲーテ・インスティトゥートにて遺作展。 (1974年12月1~14日). 開会の辞:ドイツ大使ヘンドゥス博士。[ 8]
1975年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン。成人教育会館にて遺作展 (1974年5月3~11日)。[ 8]
1975年 ドイツ、ゾーリンゲン。ドイツ刃物博物館にて遺作展(1975年5月15日ー7月13日)。[ 8]
1976 年 ドイツ、グラードベック(ボッツロップ市)水城ヴィットリンゲンにて遺作展 (3月14日~4月25日)。[ 8]
1977年 スイス、ベルン。ギャラリー・ダルト・ミュンスターにて遺作展。(1月25日~2月15日)。[ 8]
1977年 アルジェリア、アルジェ 。ギャラリー「モハメド・ラシム」にて遺作展 (11月15~26日)。[ 8]
1978年 ドイツ、ブーフシュラーク ドライアイヒ。市民ホールにて遺作展 (1978年9月6-17日)。[ 8]
1980年 ドイツ、レムシャイド 。市立郷土博物館レムシャイド-ハステンにて遺作展(1980年7月6日~8月24日)。[ 8]
1982年 ドイツ、ゾーリンゲン。ドイツ刃物博物館にて遺作展(1982年9月11日~26日)テーマ:ベルギッシェス・ランド。[ 8]
1984年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン。 市立ギャラリーシュタップレフスにて遺作展 (1984年3月15日-4月8日)。[ 8]
1984年 ドイツ、ゾーリンゲン。ドイツ刃物博物館(1984年8月19日-10月7日)テーマ:描かれたライン川ー源泉から河口までー。[ 8]
1985年 アルジェリア、アルジェ。ゲーテ・インスティトゥートにて遺作展 (11月19~30日)。[ 8]
1986年 ドイツ、ゾーリンゲン。 シュタットシュパルカッセ銀行にて遺作展(9月16日ー10月16日)テーマ:オランダ。[ 8]
1986年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン。シュパルカッセ銀行マルクトグレーフラー・ラントにて展覧会(11月10日ー12月2日)。
1988年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン。シュパルカッセ銀行マルクトグレーフラー・ラントにて遺作展(8月23日ー9月16日)。テーマ:「トライレンダー・エッケ=三つの国の出会う場所」。[ 8]
1988年 ドイツ、レムシャイド。 シアターギャラリーにて遺作展(9月11日-10月23日)。[ 8]
1991年 ドイツ、ゾーリンゲン。シュタットシュパルカッセ銀行ゾーリンゲンにて遺作展(9月10日ー10月4日) テーマ: 「ゾーリンゲン市民の肖像とポートレート」。[ 8]
1996年 ドイツ、ゾーリンゲン。ヴッパー河畔ブルグ城のベルギッシュ博物館にて遺作展(9月22日ー10月20日)。[ 8]
1999年 ドイツ、ゾーリンゲン。バーデン博物館にて遺作展(10月3日11月15日。[ 8]
1999年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン。市立ギャラリー・シュタップレフスにて遺作展(1999年11月20日-12月19日)。[ 8]
2006年 ドイツ、ゾーリンゲン。リベラル画廊にて遺作展(8月26日-10月6日)。[ 14]
2012–2013年 ドイツ、イシュニー、アイゼンバッハ。ハウス・タンネにて展覧会。 テーマ: 『クロイツタール|アイゼンバッハのエルヴィン・ボヴィーン』。[ 14]
2013–2014年 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン 。期間2013年10月13日ー2014年7月27日。リンデンプラッツ美術館にて画家の長期回顧展開催。[ 15] [ 16]
2014年 ドイツ、ゾーリンゲン。ゾーリンゲン美術館にて回顧展 (2014年8月10日–9月14日)。[ 14] .
2015年 ドイツ、ゲオルクスマリエンヒュッテ 。回顧展ヴィラ・スターマー美術館にて回顧展(2015年10月14日ー11月15日)。[ 14]
作品
『魂と世界の間の美しい戯れー画業我が人生』(自伝)ベッティーナ・ハイネン-アイエヒ及び財団エルヴィン・ボヴィーン友の会編集。ゾーリンゲン、1995年発行,ISBN 3-88234-101-7 .
『失われた朝の時間、ある画家の日記、バイエルン・アルプスにて1944-1945年』発行人ベルナルド・ツィンマーマン。ラルマタン出版 パリ、2000年 ISBN 2-7475-0040-3 .
文献
ハンスヤコブ・ドレジア:エルヴィン ヨハンネス・ボヴィーン『作品への序論』ゾーリンゲン、日付無記載.[ 8]
無記名: エルヴィン・J・ボヴィーン60歳記念展カタログ。1960年1月17日ー2月28日開催。ドイツ刃物博物館,ゾーリンゲン。[ 17]
ハンス-カール ペシュ:エルヴィン・ボヴィーン 。 ベッティーナ・ハイネン-アイエヒ|財団エルヴィン・ボヴィーン友の会編 初版1981年ゾーリンゲン。[ 8]
W.F.ケーマン: 『エルヴィン・ボヴィーンをめぐる人々』シャルケス誌掲載 1981年5号ベルゲン。
ハンス-カール・ペシュ: 『エルヴィン・ボヴィーンの生涯、人物、作品』 (1899 1899年ミュールハイム|ルール– 1972年ヴァイル・アム・ライン )ゾーリンゲン、1986年発行。[ 8]
A. ディーツ:エルヴィン・ボヴィーン|パステルの巨匠。 1986年マルクトグレーフラーランド誌掲載200頁~。[ 18]
ダイアナ・ミリーズ:『エルヴィン・ボヴィーンとゾーリンガー市民の肖像とポートレート 』ゾーリンゲン1991年発行。[ 8]
バイエルン放送ドキュメンタリー『画家ボヴィーン、世界の涯で』2012年5月6日、日曜日放送。[ 19] [ 20]
ルディー・ホルツベルガー:『魅惑のアーデルエック-アルゴイの隠れ家|クロイツタールのエルヴィン・ボヴィーン』アーデルエック出版。アイゼンバッハ2013年ISBN 978-3-00-042789-3. ISBN 978-3-00-042789-3 。
ベッティーナ・ハイネン-アイエヒ編:エルヴィン・ボヴィーン1899–1972 作品目録(独・仏語)U-Form出版,ゾーリンゲン1999, ISBN 3-88234-103-3 。
社団法人美術館サークル及びヴァイル・アム・ライム市立リンデンプラッツ美術館編: 『魂と世界の間でーエルヴィン・ボヴィーン』展パンフレット。2013年10月13日ー2014年7月27日ヴァイル・アム・ライン市立リンデンプラッツ美術館にて開催。
ズィッツェ・ファン・デア・ゼー:『私たちは生き延びたードイツ占領の最後の目撃者』プロメテウス出版,アムステルダム,2019年発行,ISBN 9789044638424 。
ペーター J.H. ファン・デン・ベルク 『エグモントの画家』W ブックス出版, 2021年発行, ISBN 978 94 625 83931 。
クラウディア・シェーニング-カレンダー:『エルヴィン・ボヴィーン=芸術村の住人、画業の旅人、そして時代の記録者 』アート・プロフィール美術マガジン。2022年146号、28-31頁掲載。
クリスティーナ・シュトレックフス:『芸術村そして時代の証人ーゾーリンゲンの「黒い家」』アート・プロフィール美術マガジン。2022年148号、48-53頁掲載。
美術館、アーカイブ、公開コレクション
芸術家エルヴィン・ボヴィーンの絵画作品と原稿は各地の美術博物館に、アーカイブ、公開コレクションは欧州の国々各所に保管されている。オランダでは絵画作品はアムステルダムのリジクス美術館 [ 21] [ 22] 、デン・ハーグのロイヤル・ハウス・アーカイブス[ 21] [ 22] 、ホールンのウェスト・フリース博物館[ 21] [ 22] 、エグモント•アーン・ゼーのファン・エグモント美術館が所蔵する。[ 23] アーカイブはアルクマールの郷土資料館、デン・ハーグのRKDオランダ美術史研究所 に保管されている。ドイツでは画家の絵画作品はノルトライン-ウェストファーレン州美術コレクション[ 21] [ 22] 、ゾーリンゲン美術館[ 21] 、ヴァイル・アム・ライン市美術コレクション[ 21] [ 22] 、フースムのニッセンハウス・ノルトフリースラント美術館[ 21] [ 22] 、レーラッハのドライレンダー美術館(元ブルクホーフ博物館)[ 22] 、シュプリンゲン|ダイスターの郡郷土博物館[ 21] 、ミュンデンのハン市美術コレクション[ 21] 、そしてゾーリンゲンのシュタットシュパルカッセ銀行美術コレクション[ 21] [ 24] が所蔵。アーカイブはゾーリンゲン市立資料館、デュッセルドルフ-ハインリッヒ・ハイネ研究所が保管している。ノルウェーではアルスタハウグ (アルスタハウグ自治体)[ 21] が画家の作品の一大コレクションを所有する。スイスでは公文書資料がチューリッヒのSIK-ISEA=スイス古典及び現代美術研究所で保管されている。
フィルム、放送劇
1992年 ハッセン・ブウアデッラ:『ベッティーナ・ハイネン-アイエヒ –エルヴィン・ボヴィーン への手紙』映画,ゾーリンゲン及びアルジェ,1992年。フランス語版タイトル 『 Bettina Heinen-Ayech – Lettre à Erwin Bowien』当作品はモントリオール映画フェスティバルで公式セレクションに記録された。[ 25]
2010年 ゲオルク・バイエレ 『記憶の芸術』ー「スペッサートの森からカールべヴェンデル山地まで」 バイエルン放送局、定期番組内で放送。[ 25]
2011年 ゲオルク・バイエレ 『アルゴイ山地の牧歌的生活– 逃避の地、クロイツタール』1944年, 「バイエルンの時間」枠内放送。53分。第一回放送2011年12月11日。[ 25]
2015年 ルディ・ホルツベルガー&ゲオルク・バイエレ:『アルゴイの隠れ家ー記憶の芸術。クロイツタールのエルヴィン・ボヴィーン』放送時間53分。バイエレ-キュンプフェル-ホルツベルガー 財団。上映2015年10月21日 ミュンヘン・マキシム映画館。[ 25]
外部リンク
典拠、脚注
^ Erwin Bowien (1995). Das schöne Spiel zwischen Geist und Welt. Mein Malerleben. . U-Form Verlag. pp. 24,25 und 72.. ISBN 3-88234-101-7
^ Erwin Bowien (1995). Das schöne Spiel zwischen Geist und Welt. Mein Malerleben. . U-Form Verlag. pp. 22-23. ISBN 3-88234-101-7
^ a b Bettina Heinen-Ayech und Ulrike Friedrichs (1999). Erwin Bowien (1899-1972). Werkverzeichnis - Catalogue Raisonné - Werkoverzicht. . U-Form Verlag. pp. 18. ISBN 388234-103-3
^ Barbara u. Detlef Rahlf: Erwin Bowien Vita I. In: erwin-bowien.de. 10. Oktober 2008, abgerufen am 3. November 2018.
^ a b c Barbara & Detlef Rahlf, München (10 October 2008). "Erwin Bowien Vita II" . erwin-bowien.de . 2018年11月19日閲覧 。
^ Bowien: Das schöne Spiel zwischen Geist und Welt. S. 47f.
^ Bowien: Das schöne Spiel zwischen Geist und Welt. S. 52.
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba Bettina Heinen-Ayech und Ulrike Friedrichs (1999). Erwin Bowien (1899-1972) Werkverzeichnis-Catalogue Raisonné-Werkoverzicht (1 ed.). U-Form-Verlag Solingen. pp. 21-26. ISBN 3-88234-103-3
^ Bowien: Das schöne Spiel zwischen Geist und Welt. S. 52f.
^ Bowien: Das schöne Spiel zwischen Geist und Welt. S. 62.
^ Bowien: Das schöne Spiel zwischen Geist und Welt. S. 67.
^ Barbara & Detlef Rahlf, München: Erwin Bowien III. In: erwin-bowien.de. 2008年10月10日, 2018年11月19日閲覧。
^ a b c d e Hans-Karl Pesch (1981). Erwin Bowien (1 ed.). pp. 30
^ a b c d Dr. Haroun Ayech: Retrospektiven. In: Erwin Johannes Bowien (1899-1972). Dr. Haroun Ayech,2020年、2020年5月1日閲覧(独語)。
^ Michael Tesch: Solingen: Ein Maler zwischen Geist und Welt. In: rp-online.de. 2013年8月20日。2018年11月3日 閲覧。
^ Erwin Bowien-Retrospektive präsentiert viele noch nie gezeigte Bilder. In: Badische Zeitung. 2018年11月3日閲覧。
^ Bettina Heinen-Ayech und Ulrike Friedrichs (2000). Erwin Bowien (1899-1972) Werkverzeichnis-Catalogue Raisonné-Werkoverzicht (1 ed.). U - Form - Verlag Solingen. pp. 26
^ Hans Hofstätter und Berthold Hänel (2000). Die Maler des Markgräflerlandes . Schillinger Verlag. pp. 78
^ Mitteilungen des Freundeskreises Erwin Bowien e.V. 報告2010年12月 (追悼2014年3月20日インターネット・アーカイブ )
^ Bayerischer Rundfunk dreht im Kreuzthal einen Film schwaebische.de 11. Oktober 2012.
^ a b c d e f g h i j k Bettina Heinen-Ayech (Hrsg.): Erwin Bowien 1899–1972 Werkverzeichnis – Catalogue Raisonné-Werkoverzicht. Verlag U-Form, Solingen 1999, ISBN 3-88234-103-3 .
^ a b c d e f g Hans-Karl Pesch: Erwin Bowien. Hrsg.: Bettina Heinen-Ayech und der Freundeskreis Erwin Bowien. e.V. 1. Auflage. Solingen 1981
^ Peter J.H. van den Berg. De schilders van Egmond. W Books, Zwolle 2021, ISBN 978 94 625 83931
^ Diana Millies: Erwin Bowien, Bildnisse und Portraits Solinger Bürger. Solingen, 1991
^ a b c d Dr. Haroun Ayech: Filme, Audio. In: Erwin Johannes Bowien (1899-1972). Dr. Haroun Ayech, 2020年5月1日閲覧(独語)。