エルンスト・ミエルク
エルンスト・ミエルク(Ernst Leopold Christian Mielck[またはMielch], *1877年10月24日 ヴィープリ †1899年10月22日 ロカルノ)は、フィンランドの作曲家、ピアニスト。 略歴バルト・ドイツ人の商人の父親と、スウェーデン系フィンランド人の母親との間に生まれる。文化的・音楽的な家庭環境のもと、生まれつき虚弱体質ながらも10歳で地元の音楽教師にピアノを学ぶ。1891年にベルリンのシュテルン音楽院で更なる音楽教育を受ける。1898年までベルリンにとどまり、マックス・ブルッフの個人指導のもとに作曲を学ぶ。 ピアニストとしては、1894年にメンデルスゾーンの《ピアノ協奏曲 第1番 ト短調》をヴィープリで演奏してデビューを果たす。1897年には、ヘルシンキで自作の(最も重要な作品である)《交響曲 ヘ短調》が初演され、作曲家デビューを果たしている(シベリウスはこの作品を耳にして、《交響曲 第1番》作曲の刺激を受けた可能性があると伝えられる)。1899年に肺結核のため、22歳の誕生日を目前に療養先のスイスで客死。
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